自分と向き合わずに生きて自分を見失った真の社会不適合者、略して真者(まもの)です。
今日は「自分と向き合うことの大切さ」という話をしていこうと思います。
自分と向き合うことの大切さ
自分と向き合うことは大切です。
なぜなら自分と向き合わなければ、ほぼ確実に不幸になるから。
なぜ自分と向き合わなければ不幸になるのかというと、そもそもの話として、自分を幸福にできるのは自分しかいないからです。
その自分が、何をしたいのか、どうありたいのか、どうなれば幸せになれるのか、ということをはっきりと知っていなければ、日々の生活に流されるだけで人生が終わってしまいます。
これは不幸な人生なのです。
もちろんこの不幸は、はっきりとわかるような強烈な不幸ではありません。
真綿で首を締められるような、緩やかな不幸(笑)です。
だからこそ気づきにくい。
気づきにくいからこそ、下手をするとそのまま流されて何十年と過ごしてしまうのです。
そして人生の終わりに、自分の人生っていったいなんだったのかと思うようになり、
なんやこの人生・・・
となってしまうのです。
こういう人生を送らないためには、できるだけ早い段階から、自分と向き合っていくことが大切になってくるのです。
自分と向き合うとは自分を知ること
自分と向き合う、ということを別の言葉で表すならそれは「自分を知る」ということです。
この言葉は昔からよく言われていますよね。
そして現代でもこのことの重要性は少しも変わってはいません。
むしろ昔は賢人しか理解できなかったであろう、この言葉の真意を、凡人でも理解できるようなチャンスが巡ってきている時代が現代なのだと思います。
それくらい、この「自分を知る」ということは重要なのです。
逆に言えば、人は自分を知ることができないからこそ常識というものに縛られている、とも言えるのだと思います。
常識の中で生きていれば、自分を知らなくても生きていけるのです。
とはいえ、この常識もそろそろ限界が近づいているように見えます。
今までなら常識に従って生きていても、たとえそれが緩やかな不幸な人生だったとしても、なんとか生きていくことができていた時代なのでしょう。
しかしこれからの時代は、その常識の中では生きていくことすらできない厳しい時代がやってきそうな予感がしてます。
だからこそ、自分と向き合って、自分を知っていかなければいけないのです。
自分を知ることは難しい
自分を知る
言葉にするとたったの5文字。
しかし、この言葉の真意を知らないまま死んでいく人の方が数は多いのかもしれません。
そもそもなぜ私たちは自分を失っていくのでしょうか?
それはやはり「自分ではない誰か」になろうとしたからです。
一番初めは親との関係で。
次は他人との関係で。
そして次は社会との関係で。
そしてそのあり方が普通になって思考停止してしまうのです。
「自分はどうありたいのか」という内発的なものではなく、「どうすれば周りに認められるのか」という外発的なものを優先してしまったから。
だからこそ、自分はどうありたいのか、ということを自分で知っていかなくてはならないのです。
これは自分で知っていかなくては誰も教えてくれることはないのです。
親も学校も社会も誰も教えてはくれません。
むしろ周りに流されるだけでは、自分を見失っていくだけです。
そうならないためには、自分のことは自分で知っていくしかないのです。
自分を知るための具体的な方法
自分を知るためには、自分の中だけを見ていては見えてはきません。
まずはいろんな人の考え方を知ることが必要になってくるのです。
そのための具体的な方法としては、いろんな人の本を読む、ということをおすすめします。
いろんな人の考え方を知って、知って、そしてようやく自分との違いが見えてくるのです。
そうです。
「自分を知る」とは自他の違いの発見なのです。
だからこそ、自分の中だけを見ていても見えてはきません。
他の人の考え方を知っていく必要があるのです。
そしてその違いの中で「自分とは何か」ということがようやく見えてくるのです。
だからまずはいろんな人の考え方というのを知っていきましょう。
そのために本を読んでいきましょう。