人の期待に答えようとしすぎて自分を失った真の社会不適合者、略して真者(まもの)です。
今日は人の期待に答えてはいけない、という話です。
人の期待に応えようとしてはいけない
人の期待に応えようとしてはいけません。
なぜならそれは大抵、見返りを求めているからです。
つまり、人の期待に応えようとしている人は、その見返りとして何かを得ようとしているのです。
人からの好意であったり、あるいは、嫌われたくないという思いであったり。
どういうものであるにせよ、そこには、見返りを求める思いがあるのです。
その見返りを求める思いがどこからきているのかというと、自分に対する不足感からです。
自分には価値がない。
だから相手から嫌われてはいけない。
嫌われたら、生きていけない。
こういうのは「自分には価値がある」となんの疑問もなく思える人には絶対にわからない感覚なのです。
そもそも自分に満足している人間は、人の期待に応えようとはしません。自分がやりたいことを優先できるのです。
でも人の期待に応えようとしてしまう人はこれができません。
自分がやりたいことよりも、人に嫌われないことを選んでしまう。
「自分はどうしたいか」なんて発想が湧いてこないのです。
こういう人が人の期待に応えようとしてしまうと、ますます自分を失っていきます。
そして、他人の望みを叶えているうちに、自分でも自分のことがわからなくなっていくのです。
不安だから人の期待に応えようとする
こうならないためには、人の期待に応えようとしてはいけないのです。
人の期待に応えることによって、一瞬だけは安心するでしょう。
でも人の期待に終わりはないのです。
安心するためには一生、人の期待に応え続けなければならなくなってきます。
そんな人生を歩みたい人なんていないですよね?
それでもそういう生き方をしてしまう人が多いのは不安だからでしょう。
その不安を、他人の期待に応えることによって解消しようとしても終わりはありません。
一時的に安心することはあっても、永続的に安心することはないのです。
永続的な安心を手にするためには、他人の期待に応えようとしてはいけないのです。
不安を消すために自分と向き合う
永続的な安心を得るには、他人の期待に応えようとしてはいけないのです。
他人の期待に応えることによって安心を得ようとすると、死ぬまで他人の言うことを聞き続ける人生になってしまいます。
そんな人生にしないためには、人の期待に応えようとしてしまうのはなぜなのか、と自分と向きあっていく必要があるのです。
なぜ自分は人の期待に応えようとしてしまうのか?
なぜ自分は人から好かれようとしてしまうのか?
なぜ自分は人に嫌われたくないと思ってしまうのか?
なぜ自分は人に嫌われたら、自分には価値がないと感じてしまうのか?
という風に自分と向き合って、自分が本当に思っていること、感じていることを知っていく必要があるのです。
こういうことをしないで、流されて生きているだけだと、下手をすると、死ぬまで他人の期待に応え続ける人生を歩むことになってしまいます。
そして人生の終わりに、なんやこの人生・・・
となってしまうのです。
幸福な人生を歩むために
そんな人生を送らないためには「人の期待に応える」ことよりも「自分がやりたいこと」を優先できるようにならなければいけないのです。
これはワガママではないのです。
そもそも本当にワガママな人間だったら、相手の期待に応えようとはしません。
自分を優先できない人間だからこそ、相手の期待に応えようとしてしまうのです。
そして自分を失っていく・・・
だからこそ、もういいかげん、相手の期待に応えようとしてしまうのはやめていきいましょう。
相手の期待に応えなくても、自分には価値がある、と自分で自分を認めていきましょう。
そうしなければ、誰かに認められるためだけの人生になってしまいます。
その生き方では幸福にはなれないのです。
幸福な人生を歩むためには、人の期待に応えようとするのではなく、まず、自分で自分を認めることが必要になってくるのです。
自分で自分を認めることができるようになれば、人の期待に盲目的に応えようとはしなくなります。
だからこそ、自分で自分を認めていきましょう。
そして自分で自分を認めるためには、自分と向き合うことは必要なことなのです。
まずは自分が普段、何を思っているのか、何を感じているのか、ということに気づくことから始めてみてはいかがでしょうか。