【自己中心的に生きる】他者中心的な日本人ほど必要【令和に込められた意味】

自己中という言葉は一般的には悪い言葉として知られていると思います。

しかしよく考えてみると、自己中心的ではない人間なんて、一部の聖人を除いて存在するのでしょうか?

自己中心的な人間の方が、数は圧倒的に多いのではないでしょうか。

そして、それは正しい考え方でもあるのです。

自己中心的になってしまうのは人間の自然な姿

そもそも基本的に、人間は自分のことしかわかりません。

他人が傷ついていても、その痛みが自分の中に入ってくるわけでもありません。

他人の痛みはわからないけど、自分が傷ついたらわかるようになっています。

だから普通に生きると、自己中心的になってしまうのは人間の自然な姿なのです。

他者中心的な人は相手に見返りを求めている

ただ、中にはそうは見えない人もいます。

一見すると他者中心で自分のことは後回しにしているような人もいます。

いわゆる「いい人」ですね。

こういう人は自分の存在の根拠を、他者の承認に頼っている人が多いのです(もちろん、本当に心から相手のためを思ってやっているマザーテレサのような人の場合は別)

他者に認められることによって、自分の存在を承認しようとする。

言葉は悪いですが、他者の奴隷になりやすいタイプですね。

他者中心的な人はもっと自己中心的に生きた方がいい

ただ、実はこういう人ほど、もっと自己中心的に生きた方がいいのです。

なぜならこういうタイプの人は、自己中心的に生きても自然と他者のことを考えてしまえるからです。

元が自己中心的な人にはこれができません(笑)

だからこそ元が自己中心的過ぎる人の場合は、その自己中心さは抑えた方がいいのですが、

しかし、元が他者中心的な人はこの逆で、もっと自己中心的に生きた方がいいのです。

まずは自分を幸福にすることが最優先

元が他者中心的な人は、自分のことはほっといて、いきなり他者のためになるようなことをよくしてしまいます。

たしかに、この性質は素晴らしいものではあります。

ただそういう人は、マザーテレサのような聖人ではない限り、確実になんらかの見返りを求めているはずです。

「こういうことをしてあげたのだから、あなたもこういうことをしてね」というようなギブアンドテイクになってしまっているはず。

それが聖人ではない普通の人間の姿なのです。

そして私たちの大半は聖人ではなく、ただの人ですよね。

私も、そしてこれを読んでいるあなたも、聖人ではなくただの人なのです。

であるなら、まずは幸福にさせてあげなければならない人間は、自分なのです。

自分のことを後回しにして他者のためになるようなことをしても、それは大抵、無意識のうちに相手に見返りを求める行為になってしまっているのですから。

もし、本当になんの見返りも求めずに他者のためになるようなことができる人がいるのだとすれば、その人は聖人でしょう。

しかし、私たちの大半は違うのです。

そして、それでいいのです。

いきなり他者のためになるようなことをしなくていい。

まずは自分を幸福にさせてあげることが最優先なのです。

自己中心の先に他者中心がある

そもそも自分を幸福にすることができない人間が、他人を幸福にさせてあげることなんてできません。

「自分」という一番身近な人間すら幸福にさせてあげることができない人間が、他人に幸福を分け与えるなんてことはできないのです。

持っていないものは、与えることはできません。

だからこそ、まずは自分を幸福にするのです。

自分を幸福にすることができれば、それを他者に分け与えることができるようになるはずです(元が他者中心的な人の場合は)

他者中心になりすぎる日本人ほど自己中心さが必要

そしておそらく日本人は、この元が他者中心的な人の数が多いのだと思います。

だから、自己中心的にはなりきれないのでしょう。

しかし、だからこそ自己中心的に生きることが必要になってくるのです。

「和を大切にできる性質」を元から持っているからこそ、自己中心的に生きても暴走はしないはず。

そういうタイプの人間だからこそ、もっと自己中心的に生きるべきなのです。

 

そしておそらく、こういう性質を持っている日本人だからこそ戦争を終わらせる可能性を持っているのだと思います。

今までのように消極的に平和を願うのではなく、積極的に、自己中心的に、平和を主張していく。

「令和」にはそういう意味が込められているのかなと勝手に思ったりしています。

 

なんだか最後に話がぶっ飛んでしまった感がありますが、一番言いたかったのは、他者中心的になりすぎる日本人ほど、もっと自己中心的に生きることが大切です、ということを言いたかったのでした。

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