昨日はなんだか偉そうなことを言ってしまった気がするので反省・・・
学生時代、周りに合わせることができなかった人間の妄言だとでも思ってください。
それでもやっぱり「勉強の大切さ」は言い続けなければいけません。
正しい勉強の仕方を知らない状態で学校に行き続けたら、普通に勉強を嫌いになるのだと思います。
そして学校を卒業すると同時に、勉強する事まで卒業してしまう・・・
これが一番まずいのです。
勉強とはやりたくないことをやることとか、テストで良い点を取るためにやるもの、という発想しか持てなくなるのがダメなのです。
本当の勉強とは、自分の興味・関心に従ってもっと自由にやっていくべきもの。
なのに「興味もなくてつまらないだけの勉強を長時間、耐えるだけ」みたいなやり方では勉強を嫌いにならない方がおかしいのです。
そんなやり方では、自分なりの考え方、自分だけの価値基準なんて持てるようにはならないのです。
自分の中に価値基準を持つ
自分の中に価値基準が持てなければ、人は流されて生きるようになります。
「自分にとって何が大切なのか」ということがさっぱりわからない状態で生きることになり、
人生の目的が「生きるために生きる」というよくわからないものになってしまいます。
「生きるために生きる」という状態はつまり、ゴールを決めないで走っている状態に近いのです。
走っている人に対して、
「あなたはどこへ向かっているのですか?」
という質問をしたら
「走るために走っているんだ!」
という答えが返ってくるのと同じです(笑)
もちろんそれがフルマラソンを完走する、というような目的があるのならいいのですが、なんの目的もなく、走るために走っているような人は、人生の最後に
「自分はいったい、なんのために走っていたのだろうか・・・」
と、自分の人生を後悔するようになる可能性が高いのです。
そうならないために、自分の中で明確な目的、価値基準を持つ必要があるのです。
暗記中心の勉強法だと路頭に迷う
本当はこれを知るために、勉強があるのだと思うのですが、学校ではこういうのを教えてはくれません。
ただただ暗記中心の勉強、人間がどう頑張っても機械には勝てないやり方の勉強をしているのです。
これでは機械によって代替可能な人材を大量に社会に送り出すことになってしまいます。
そして路頭に迷う人が大量に出てくるのです。
だからこそ、手っ取り早く評価される暗記中心の勉強ではなく、自分の興味・関心に従った勉強に切り替えていくべきなのです。
そうすれば次第に自分なりの価値基準というのが見えてくるはず。
これをやらないで、ただただテストで良い点を取るためだけの勉強法だけでは、自分なりの価値基準というのは見えてはこないのです。
機械に代替されない人材になるために
自分なりの価値基準というのを作らないで、ただ周りに流されて社会に適合しようとするだけだと、これからますます厳しい状況になっていくように思います。
適合した社会の価値がいつまでも続くとは限らないのですから。
そうなってから自分の価値基準を探そうとしても遅いのです。
路頭に迷ってからでは遅いのです。
そうなる前に、自分の価値基準というのを見つけていなければなりません。
でないと簡単に機械によって代替可能な人材になってしまいます。
学校に真面目に行き続けるだけでは、そうなってしまう可能性が高いのです。
だからこそ「評価される興味の持てない勉強」よりも、「評価されない興味を持てる勉強」の方に比重を移していくべきなのです。
それが機械によって代替されない人材を作っていくための方法なのだと思います。