今の時代、学校で勉強する意味はあるのか?

今の時代、学校で勉強する意味はあるのでしょうか?

もし私が学生時代をやり直せるのだとしたなら、学校に行かないか、あるいは「病弱」という設定にして週に2〜3日は休んでいると思います。

そして学校の勉強はほどほどにして、余った時間で本を読んだりして、興味・関心のある分野を自分で探して勉強していくでしょう。

その方が将来、機械に代替されない人材になることことができると思うからです。

暗記中心の勉強はあまり意味がない

私が思うに学校という場所は、本来であれば、自分が何に興味・関心があるのかを見つけるためにあるべき場所なのだと思います。

でも今の学校のあり方は、ただ単純にテストで良い点を取るという暗記中心のやり方で勉強を教えているのでしょう。

しかしそのやり方の勉強では、あまり意味がないのです。

私の場合

私の場合でいうと、テスト前にバーっと一気に暗記してテストの日だけ覚えて点数をとって、一週間もすればキレイさっぱり忘れていく(笑)みたいな無駄な勉強のやり方ばかりしていました。

今振り返ってもほんと無駄だったなと思います。

ほんと時間の無駄でした。

一日の大半を「しなければならない」でうめつくされるのは不幸

もちろん、テストでいい点をとって、いい大学に入って、いいところに就職する、みたいな時代錯誤な目的を持っているのなら話は別ですが、今の時代、そういう望みを持っている人は少ないように思います。

つまり、テストで良い点を取るのに、自分なりのはっきりとした目的があれば問題はないと思うのです。

でも問題があるのは、親や、周りに流されて、訳も分からずとりあえず勉強してテストで良い点を取らなければならない、という「〜しなければならない」という意識で勉強し続けることなのです。

なぜなら、この意識で勉強をし続ける限り、学校を卒業すると同時に、勉強する事まで卒業してしまいやすいから。

そして本当に自分にとって必要な興味のある勉強に出会わないで、興味のない仕事をし続ける、というような不幸な人生になってしまいやすいのです。

はい、私のことですね。

過去の私は勉強というのは「しなければならないものだ」と思っていました。

そしてその考え方の延長として、仕事も「しなければならないものだ」と思っていたのです。

でもよく考えてみたらわかるのですが、一日の大半をこの「しなければならない」でうめつくされるのは、どう考えてみても不幸。

学校で盲目的に勉強し続けると、こんな当たり前なことすら、わからなくなってしまうのです。

自分が何に興味があるのかを自分で見つけていく

本来であれば、勉強というのは自発的にしていくものなのです。

そして人によって何に興味・関心があるのかは違うので、それを見つけるために学校のような場所はあるのだと私は思います。

それなのに、画一的な教育をいまだに続けているのが学校という場所なのでしょう。

だからこそ、もし私が学生時代をやり直せるのだとしたなら、学校の勉強はもうほどほどに、テキトーにすると思います。

そして余ったリソースで「自分が何に興味があるのか」を全力で探すと思います。

学校がそういうことを教えてくれないのだから、自分にとって大切なことは自分で探していくしかないのです。

昔(インターネットがない時代)は難しかったけど今は違う

昔(インターネットがない時代)だったなら、確かに、学校には行っておいたほうが良かったのだと思います。

でも今は違います。

自分からいくらでも情報を取りに行くことができるのです。

環境が変わったのです。

サラリーマン教師の授業を真面目に聞くよりも、TEDなどの動画を見る方がよっぽど勉強になります。

何度も言いますが、昔(インターネットがない時代)はこういうのに簡単にアクセスできなかったのです。

でも今は違うのです。

状況が変わったのに、変わらない教育方法をしている学校に行き続ける必要があるとは、私にはあまり思えません。

 

もちろん、学校が楽しいのなら行き続ける意味はあると思います。

友達と会うのが楽しい陽キャラな人にとっては、学校というのは自己肯定感を高めるためのいい場所になるのだと思います。

しかし私のような、学校に行くことが苦痛以外のなにものでもなかったような人間、陰キャラからすれば、学校というのは自己肯定感を下げる場所でしかなかったのです。

私はそういう場所に小、中、高と、ほぼ皆勤で行き続けてしまいました。

そして得られたものといえば、「自分には価値がない」という自己否定感だけ。

「学校に行きたくない」という自分の願いすらかなえてあげることができない自分は将来、なにもできるわけがないと感じていくようになりました。

自分の意思、本心を無視した行動をし続けると、自分ではなにもできないと感じてしまう状態がデフォルトになってしまうのです。

学校に行きたくないけど、学校に行き続けるという自分の本心を無視した行動をし続けた結果、自分ではなにもできないという考え方が当たり前になっていってしまったのです。

学校で勉強する意味はないけど、自分で勉強する意味はある

私の考えの結論としては「学校で勉強する意味はないけど、自分で勉強する意味はある」というものです。

勉強というのは本来であれば楽しいと感じるものだと思います。

もちろん、最初は努力感が伴うものです。

最初から楽しい勉強なんて存在しないでしょう。

それでも、少しでも興味がある対象なら、勉強し続けることによってそこに楽しみを見出すことは難しくないと私は思います。

でも全く興味のない対象や、テストでいい点を取るためだけの勉強の中においては、そこに楽しみを見出すことは非常に難しくなってしまうのです。

だからこそ学校という場所が子供の個性を無視し、画一化された教育をする場所であり続ける限り、そこで勉強する意味はないと私は思います。

ただ、その代わりに自分で勉強をしていく必要はあります。

興味を持てる対象を、自分で探して勉強していく必要があるのです。

この勉強には終わりがありません。

自分から勉強したいと思うものなのです。

その対象を見つけることに学校がなんの役にも立たないのなら、自分で見つけていくしかありません。

「テストの日だけ覚えていればいい」というような暗記中心の無駄な勉強ではなく、「自分がいつも覚えていたい」と思う自発性を伴った勉強を。

その対象を見つけることができたなら、霧が晴れるのです。

だからまずはその対象を見つけるために、自分で勉強をしていきましょう。

誰かに認められるためではなく、自分で自分のことを認めることができるようになるために。

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