学校という刑務所、クラスという牢屋

私は学校に行きたいと思ったことがないです。

でも、小、中、高、と学校に行き続けてしまいました。皆勤で。

「学校には行って当たり前」という親とか周りが抱いている空気に逆らうことができなかったのです。

だから無意味に行き続けてしまった。

学校は刑務所

私にとって学校というのは、まさに刑務所という言葉が一番、合っているような場所でした。

自分の意思とは関係なく、絶対に行かなければいけない場所。

罪人(子供)は
刑務所(学校)には「行かなければならない」
そして牢屋(クラス)には「入らなければならない」

それが、死にたいほど嫌でも私が学校に行き続けてしまった理由です。

学校のクラスは蠱毒の壺

牢屋に入っているとストレスが溜まるので、強い者は弱い者を使ってストレス発散をしているのでしょう。

「肉食動物が草食動物を食っている」とも言えるのかもしれません。

それは同じ場所に違い種類の人間をごっちゃにしているのが原因で起こってくることなのです。

まるで蠱毒ですね。

その中で強かった者はおそらくカーストの存在に気づくことすらないのでしょう。

そして強かった者は自己肯定感を高め、弱かった者は自己否定感を抱くようになっていくのです。

 

動物の世界ならそれが真理だと思うのですが、人間社会ではもうちょっとマシな社会を作らないといけないと思います。

単純に強い者が弱い者の評価を食っている世界は動物的なのです。

これに気づかないといけません。

強い者が正義であってはいけないのです。

「正しく、強い者」が正義であるべきなのです。

 

本来ならこういうのを教えるのが学校の役割だと思うのですが、学校はこういうのを全く教えないどころか、未だに弱肉強食の価値観を教える場所になっているのでしょう。

学校がそんな場所であり続ける限り、今さら道徳の授業などによってどうにかしようとしたところであまり意味はないと思います。

学校に頼らないで自分で勉強していく

学校が変わらないのなら、親や、子供の方で変わらないといけません。

学校に行かなくても、自発的に勉強をしていく姿勢を身につける必要があるのです。

本来であればこの姿勢も学校側が教えるものなのだと思いますが、学校が機能不全を起こしている以上、自分たちで道を切り開いていくしかないのでしょう。

 

鍵になってくるのは「子供の興味・関心を大切にする」という部分です。

今の学校は、こういう部分をないがしろにしているのでしょう。

テストで人よりも良い点を取るためだけの無駄な勉強法を繰り返しているのだと思います。

評価されなくても自分が興味の持てる勉強を優先する

私は学校に行き続けることによって、人に会いたくなくなり、勉強も嫌いになりました。

勉強の方は大人になってから、少しづつ自分のペースでしていくことによって、楽しく感じることができるようにはなりましたが、人づきあいの方は未だに嫌いなままです。

人と会いたいという気持ちがいっさい湧いてこないのです。

そうなってしまったのは「学校に行きたくない」という自分の気持ちを無視して学校に行き続けてしまったから。

自分のことを高くしたがる肉食系のクラスメイトから低く評価されることによって精神的に食われ続けるような日々を何年も何年も送ってしまったから。

もし私が学校に行かないことを選択できていたなら、人に一生会いたくない、とまで思うようになることはなかったのだと思います。

そしてもし、私が学生時代をやり直せるとしたなら、今度こそ学校に真面目には行かないことを選択するでしょう。

その代わりに「〜しなければいけない」というような勉強ではなくて、自分から「〜したい」「〜知りたい」という自発性を伴った勉強をしていくと思います。

まぁ、親の理解がないとできないことですけどね・・・

親の理解がなければ学校に行っても地獄、学校に行かなくても地獄のような状態になってしまうのですから。

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