「決められたことを守る」ということは、人間が社会の中で生きていくためには必要なことです。
しかし、ただそれを「決められているから守る」と思考停止して守り続けることは、ある意味でルールを守らないことよりも危険なことなのかもしれません。
ルールは守るためにあるわけではない
たとえば交通ルールは守るためにあるわけではないですよね。
事故を起こさないためにあるのです。
でも決まりだからといって、思考停止して守り続けていると、この「事故を起こさないために」という部分を忘れてしまうのです。
そうなった時、ルールはただ守るために守るという思考停止状態になってしまいます。
常識という見えないルール
交通ルールなら別に思考停止して守っていてもとくに問題はないのですが、もしこれが人生のルールならどうでしょうか。
たとえば、
- 親の言うことは聞くべきだ
- 学校には行くべきだ
- よりいい学校に行くべきだ
- いい会社に就職するべきだ
- 結婚はすべきだ
- 年金は払うべきだ
などなど
こういうものも、言わば「見えにくいルール」ですよね。
そして人は自分で考えなければ、この見えないルールのレールに乗ってしまいやすいのです。
そして多くの人がその見えないルールを守ることによって「常識」という満員電車に乗って日々、疲弊しながら人生を送っているのだと思います。
幸福に生きるために自分でルールを決める
思考停止してルールを守って、それで幸福に生きれるなら別にそれでもいいと思うのですが、大抵、それでは幸福にはなれないですよね。
だから幸福に生きるためには誰かの決めたルールではなく、自分で決めたルールを守っていく必要があります。
それを自分で決めないで、誰かの決めたルールに思考停止して従ってしまうから不幸な人生を歩んでしまうことになるのです。
もちろん、自分でルールを決める、というのはそんなに簡単な話ではありません。
簡単ではないから、人は、誰かの決めたルールに従ってしまいやすいのです。
でも、その簡単ではないことを自分でしなければ、結局は、誰かが決めたルールに従うしかなくなってきます。
つまり、誰かが決めたルールに従うのか、
それとも、自分が決めたルールに従うのか
という選択の問題なのです。
自分でルールを決めるために本を読む
とはいえ、無目的に学校に生き続けることによって、他人の決めたルールに従うことに慣らされてしまっている大半の人はやはり、普通に生きると、他人の決めたルールに従ったまま人生を終えていくのかもしれません。
私も本を読んだりして、いろんな考え方を知らなければ、普通に他人の決めたルールに従って生きていたと思います。
だからこそ、他人が決めたルールに従って、不幸な人生を送らないためにも、自分で自分のルールを作れるようになるためにはやはり、いろんな本を読んでいくことが大切なのです。
学校の興味・関心が持てない勉強はもうほどほどにして・・・
学校の勉強の内容自体が、他人が決めたルールそのものなので、まずはそこから変えていかなければいけないのでしょう。