自分の人生に目的を持つ【我慢という名の労働では成長できないから】

自分の人生に目的を持つことは大切です。

目的を持たないと、常識に流されて生きることになります。

常識に流されて生きて幸福になれる人はおそらくいないでしょう。

親や周りの言う通りに、興味のない勉強を頑張って、良い大学に入って、良い会社に就職して、条件の良い人と結婚して、みたいな今までのような常識に従って生きて、幸福になれるのでしょうか?

はたして、それは本当に自分の目的なのでしょうか?

他人の目的をかなえても幸福にはなれない

自分の目的ではないものでいくら優秀な成績を納めても、幸福にはなれません。

なぜなら、幸福というのは他人からの評価によって得るものではないからです。

ここは少しわかりにくいところだと思います。

私たちは小さい頃から親とか周りに評価されることに慣れすぎてしまっているので、自分がやりたいこと、というのをないがしろにしてきてしまっているのです。

そうなると、自分がやりたいことよりも、誰かに認められることの方が価値がある、と勘違いしてしまうのです。

これでは、自分の目的ではなく、他人の目的をかなえるための人生になってしまいます。

他人の目的をかなえても、一時的には幸福になれるかもしれませんが、長続きはしません。

それもそうですよね。そもそも他人の目的なのですから。

本当の幸福というのは、他人の目的をかなえるのではなく、自分の目的をかなえることでしか得られないものなのです。

なぜ目的を見失ってしまうのか

ではなぜ私たちは自分の目的を見失ってしまうのでしょうか。

やはり、そうなってしまう一番大きな原因は、無目的に学校に行き続けることから、

そういう心の姿勢ができあがってしまうからなのでしょう。

そして一度できてしまったその心の姿勢は、そう簡単には変えられません。

だから思考停止して学校に行き続ける弊害は、思った以上に大きいのです。

 

子供の頃は学校の集団に迎合し、大人になれば社会という常識に迎合する。

そしてよくわからないまま人生を終えていく。

それが普通の人の姿なのかもしれません。

常識に従って生きていれば、ぬるま湯的幸福を得ることはできるかもしれませんが、

でもこれからの時代、常識というぬるま湯も徐々に温度は下がってきます。

そうなってきた時に、はたして、ぬるま湯に浸かっていたような人は生きていけるのでしょうか?

「生きる」というのは本来であれば「生き続けるという意志」が必要なのです。

常識に浸かっていると、そのことを忘れがちになってしまうのでしょう。

成長して幸福になるために自分の人生に目的を持つ

「ただ生きる」ことは目的にはならないのです。

私たちは生きるために生きているのではないのですから。

動物は生きるために生きているかもしれませんが、人間は生きるために生きているわけではないのです。

何か自分なりの目的が必要なのです。

そういうことを学校が教えるべきだと思うのですが、学校は会社に入るための社畜精神しか教えてはくれません。

だから、学校に行き続けても、生きる目的は見えてはこないのです。

ただやりたくないことでも我慢する精神しか教えてはくれないのです。

我慢は成長ではありません。

成長するためには自分の人生に目的を持つことが必要になってきます。

自分の目的を持たないで、誰かの目的をかなえようとするのは「我慢という名の労働」です。

労働では成長できないで消耗するだけになってしまいます。

だからこそ成長するために、そして、幸福を手にするためには、他人の目的ではなく、自分の目的を持つことが必要になってくるのです。

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