学校の友達は友達ではなく、友達のフリ

学校でぼっちになってしまうことは、誰もが避けたい事態でしょう。

だから多くの人は、フリの友達でもいいから話す相手を作るのです。

でも所詮は友達のフリ。

学校を卒業して会うことがなくなれば、わざわざ連絡をして会うようになることはほとんどないのです。

学校の友達は友達ではなく、友達のフリ

学校に行っている学生が、もっとも避けたい事態はテストで赤点を取ることではなく、クラスでぼっちになることでしょう。

これは勉強ができる、できないよりも、優先事項が高いものなのです。

もし、クラスという集団の中で孤立してしまったのなら、1年、あるいは3年、あるいは6年、あるいは人によってはもっと長い期間、惨めな状態のまま学校に通い続けなければならなくなってくるからです(そうなったら不登校になりやすい)

そんな状態になりたいとは誰も思わないので、だから人はフリでも友達を作ろうとします。

フリの友達を作ることに成功すれば、とりあえず一番、惨めな状態になることから脱することができるからです。

 

しかし、そうやって作った友達と学校を卒業してまで会いたいと思う人がいったい、どれだけいるのでしょうか?

おそらく、大半の人たちは、わざわざ学校を卒業した後まで会いたいとは思わないのではないでしょうか。

学校のクラスという牢屋の中で、孤立することを避けるためだけに作ったフリの友達なんて、牢屋から出てまで会いたいと思うものではないでしょう。

そうなってしまうのは友達ではなく、フリの友達だったという証拠なのです。

ただ孤立して「惨めになりたくないから」という理由だけで作った、一時避難所としての友達契約は、その学校を卒業すると同時に切れてしまうのです。

常識に従っている限り、幸福にはなれない

ただそれでも、中には学生時代のフリの友達と、ごくたまに会うような人もいるのかもしれません。

でもそれは、結局、自分の位置がどの辺なのか、ということを確認する行為でしかなかったりするのです。

誰々が結婚したとか、年収がいくらだとかで相変わらず、「相対的価値観」から抜け出せていない、くだらない世界観で生きているのでしょう。

こうならないためにはやはり、自分が興味を持てる対象を出来るだけ早い段階から見つけておくべきだと思うのです。

それを見つけることができたなら、「絶対的価値観」の中で生きることができるので、他人が言ってくることにいちいち惑わされにくくなります。

逆に言えば、これを見つけることができない人が、「常識」というものに盲目的に従ってしまうのです。

この「常識」というものに従って生きている限り、本当の意味で幸福になることはないでしょう。

友達がいない状況は、見方を変えるとチャンス

しかしこれからの時代、今までなんとか保っていたこの「常識」というものは徐々に崩れていくように見えます。

つまり、今まではこの「常識」に従っていればなんとか生きていけた状態が崩れ始めているのです。

だからこそ、自分なりの価値観というのを出来るだけ早い段階から見つけていかなければならないのです。

そしてこの「自分なりの価値観を見つける」というのは、実は一人でいる方が有利だったりします。

もちろん、これは簡単な道ではありません。

「常識」に従って生きるよりもはるかに難しい道です。

それでも、意図せずとも一人になってしまった人は、逆に言えばチャンスでもあります。

そういう状況になってしまったのを逆に利用して、自分の価値観を築いていくための機会として活用していけるのです。

友達がいないからこそ、自分なりの価値観を作る必要性に迫られるのです。

友達がいれば、周りに合わせて、なあなあで生きてしまいます。
そういう人はこれからの時代、生き残れるかどうかもわからないのです。

ということで、友達がいないことは、見方を変えるとチャンスでもあるのです。

辛くとも、そのチャンスを活かすことによって自分の価値観を築けた人は将来、常識に縛られているような人よりも、遠い場所に行くことができるだと私は思います。

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