私は学生時代、友達がいませんでした。
クラスでは常にぼっち状態。
休み時間とかは常に一人なので惨めでした。
今振り返ってみると、相当、無駄な時間を過ごしてしまったと後悔しています。
今回は「学校に行かない」という極端な行動はとれない人が、ではどうすればいいのか、ということを見ていこうと思います。
学校で友達がいない人は休み時間、自分の好きなことを極めればいい
結論を言ってしまうと、自分の好きなことを極めればいいのです。
友達がいる人は話をすること(一人じゃないアピール)に忙しいので、それで休み時間の大半を消化してしまいます。
ところが友達がいないと、その時間がまるまる空いてしまうのです(悲)
私は、休み時間がただただ早くすぎるようにと願うだけ、というかなり無駄な時間の使い方をしてしまったのです。
ほんと、相当無駄な時間の使い方をしてしまいました。
仮に、一日の学校の休み時間が、昼休みを入れて100分あるとして、それを一年で学校に行く日数、200日で掛けると20000分、時間があることになるのです。
時間にすると、333時間ですね。
一年で333時間も休み時間があるのです。
3年間だとほぼ1000時間ですね。
休み時間だけで。
友達がいる人はくだらないことを話したり、他人と何かをすることによってこの時間を消化していくのですが、友達がいない人はこの時間がまるまる空いてしまう(悲)
そして友達がいない多くの人はおそらく、寝たふりをしたりして、惨めな状態を避けるための時間にしてしまうのだと思います。
私もこの休み時間というのをほんと、無駄に過ごしてしまいました。
今ではそのことをものすごく後悔しています。
もっと有益なことに使えばよかったと。
そうです。
つまり、友達がいない人はこの333時間、あるいは3年間友達がいなければ1000時間も自由な時間が使えてしまうのです。
その時間を全て、自分の好きなことに費やすことができたなら、自分なりの価値観を形成する土台を作ることができるようになると思うのです。
友達がいる人は、その友達と会話したりして、楽しい時間を過ごしているのだと思います。
あるいは、ぼっちになりたくない、という理由だけで友達のフリをしているだけで全く楽しくない、という人もいるのでしょう。
そういう人でも最悪な状態ではないわけです。
最悪な状態というのは誰とも会話していないぼっち状態になること。
こういう状態になることは誰もが避けたい事態でしょう。
しかし、そうなることを避けられずに、ぼっちになってしまった人には他の人にはないものが与えられるのです。
それが時間です。
この時間をただただ惨めさを味わうためだけの時間にしてしまうのなら、せっかく与えられている自由な時間が無駄になってしまいます(過去の私です)
その自由な時間を無駄にしないためには、何か、自分なりの目標が必要なのです。
たとえば今日中に、あるいは今週中にこの本を読み切るとか、あるいは今月は10冊以上本を読む、といったような目標が必要なのです。
こういう目標を立てずに、周りからどう見られているか、という無益なことばかり気にしていても意味がありません。
時間がもったいないのです。
自分が興味ある対象に全意識を向けていく
もし、私が学生時代をやり直せたとしても、おそらくは、またぼっちになると思います。
でもそうなったとしても、今度は絶対に時間を無駄にしないように使うことに専念するでしょう。
たとえそれが逃げなのだとしても、好きなことに逃げるのは悪くないのです。
さらに言えば、その逃げる対象が読書とかだと最高だと思います。
本を読んでいろんな人の考え方を知るというのは、自分と似たタイプの友達と毎日毎日、会い続けるよりも、はるかに成長できるようになると思うのです。
休み時間に自分と気の合う友達と話をすることは楽しいのかもしれませんが、そういう人はおそらく価値観が非常に狭くなっていくでしょう。
価値観が狭ければ、自分と違うタイプの人間を受け入れることはできなくなります。
そうなるよりも、いろんな本を読んで、いろんな価値観があることを知っていった人の方が、最終的に人間としての幅は広くなっていくように思うのです。
友達がいない人は、友達がいる人よりも圧倒的にたくさんの時間が与えられているのです。
せっかくたくさんあるその時間を、その状況を利用しない手はありません。
周りからの評価を気にして惨めな時間を過ごし続けるよりも、自分が興味ある対象に全意識を向けていく。
もし私が学生時代をやり直せたなら、休み時間をそういう意識で使っていくと思います。