親は子供よりも先に死ぬ【当然の話】
当然の話ですが、親は子供より先に死にます。
子供が事故や病気などで死なない限りは、基本的には親の方が先に死ぬのです。
そしてそれはいつ来るのかは、わかりません。
普通は、子供が50代、60代くらいになった時に親が寿命で死ぬ感じでしょうか。
しかしそれはあくまで普通の場合であって、子供が20代、10代、あるいは10才にも満たない時に親が死んでしまう場合もあるのです。
そう考えると「できるだけ早く子供が自分で物事を考えれるような人間になってほしい」と親は願うものではないでしょうか。
まともな親の場合は。
だから親は子供のことを考えるなら、自分で物事を考えれるようになる教育をしていく必要があるのです。
そしてそれは、必ずしもただ学校に行かせ続けるだけでは達成できないことだと思うのです。
学校に無目的に行かせ続けても、子供は自分で物事を考えれるようにはなるとは限りません。
もし学校に行きながら自分で物事を考えれるようになった人がいるのだとするなら、その人は学校以外のところで自分で勉強していたはずです。
そういう子供は自分で物事を考えれるようになりやすいのです。
ところが、親にそうした習慣がなく、子供も学校以外で勉強する場がない場合、子供は自分で物事を考えれるようにはなりにくくなります。
また学校以外の場で勉強していても、塾とか学校の勉強内容と同じものをしていても、自分で物事を考えれるようにはなりにくいと思います。
それは結局のところ「やらされている勉強」「興味がない勉強」だからです。
テストでいい点を取ることだけが目的の勉強というのは、テストさえ終わってしまえば、覚えている必要がなくなるのですから。
こういう勉強をいくらたくさんしたところで、脳の容量(キャパシティ)を増やすことには成功したとしても、自分で物事を考えれるようにはならないと思います。
自分で物事を考えれるようになるためには「やりたい勉強」「興味がある勉強」をしていく必要があるのです。
学校の勉強というのはここを無視しているのです。
こうした学校に子供を行かせ続ければ行かせ続けるほど、将来、不安定なサラリーマンになるしか道がないようになってしまうでしょう。
自分の興味を追求できない人は、誰かが求めているものを提供していくしかなくなってくるのです。
そして、それは大抵、自分には興味がないものです(悲)
当たり前ですね。
自分の興味を自分で追求していかなければ、他人の欲求を満たす労働をするしかなくなってくるのですから。
そうなる前に、自分の興味・関心を自分で見つけて(理想を言えば親や学校がそれを見つける手助けをして)それを育てて、他者の役に立つ形にまで洗練させていく必要があるのです。
これはかなり時間がかかる話なのです。
だから本当は興味・関心がない勉強をしている暇なんてないはず。
ところが学校はいまだに、延々とこの興味・関心が持てない勉強を教えているのでしょう。
教育を舐めすぎていますね。
いや、もしかしたら子供をサラリーマンにして、税金をキッチリと払ってくれればそれでいいとしか考えていないのかもしれません。
上の方にいる人たちというのは、必ずしも下にいる人たちのことを考えているわけではないのでしょう。
であるならせめて、親だけは、子供の将来のことを考えてあげるべきなのではないでしょうか。
無目的に思考停止して子供を学校に行かせ続けることは、本当に正しいことなのでしょうか?
子供が自分で物事を考えれるようになることを望むことが、親の正しい在り方なのではないでしょうか。
本当の意味で子供のことを考えるなら、親がいつ死んでも、子供が自分の足で立っていけるような教育をしていくべきなのではないでしょうか。