学校の教育を見直さなければいけない理由【外山滋比古】

学校の教育を見直さなければいけない理由【外山滋比古】

今回は引用文を紹介しながら、学校の教育を見直さなければいけない理由というのを見ていこうと思います。

これまでの知的活動の中心は、記憶と再生にあった。

テストで決められている答えを一字一句、間違わずに答えるようなことですね。

記憶は人間にしかできない。

大事なことを覚えておいて、必要なときに、思い出し、引き出してくるというのは、ただ人間のみできることである。

ずっとそう考えられてきた。

その能力をすこしでも多くもっているのは、”優秀”な人間とされた。

教育機関が、そういう人間の育成に力を注ぐのは当然の責務である。

ところが、ここ数十年来、しだいに大きく、記憶と再生の人間的価値がゆらぎ始めた。

コンピューターという機械が出現したからである。

パソコンやスマホがない時代においては、人間の頭にたくさんの知識を詰め込むことこそが重要だと多くの人が思っていたわけです。

記憶と再生の機能である。

これまで人間にしかできないとばかり思われていたことを、コンピューターがどんどん、いとも簡単に片付けてしまう。

人間なら何十人、何百人もかかるような仕事を一台でこなしてしまう。

われわれは、これまでいっしょうけんめいに勉強して、コンピューターのようになることを目指していたのであろうか。

しかも、記憶、再生とも、人間は、とてもコンピューターにかなわない。

記憶勝負においては、たとえ人間が何百人、何千人、何万人、何億人いたところで、機械には敵わないのです。

学校はコンピューター人間を育ててきた。

しかもそれは機械に負けてしまうコンピューター人間である。

テストで良い点を取るために暗記ばかりする勉強法では、機械に負けてしまう人間にしかなれないという話。

人間は何かというと不平を言うが、コンピューターは文句を言わない。

労働基準法にしばられることもないから、不眠不休も可能である。

泰平の夢になれてきたサラリーマンは思いもかけぬ強敵の出現に、もっとおどろかなくてはならないはずだ。

テストで良い点を取って良い会社に入って安泰なサラリーマンになることができたとしても、機械が優秀になればなるほど、創造性がない人間はリストラされやすくなるのです。

これまでの学校教育は、記憶と再生を中心とした知的訓練を行なってきた。

コンピューターがなかったからこそ、コンピューター的人間が社会で有用であった。

記憶と再生がほとんど教育のすべてであるかのようになっているのを、おかしいと言う人はまれであった。

コンピューターの普及が始まっている現在においては、この教育観は根本から検討されなくてはならないはずである。

思考の整理学

驚くべきことに、この本は今から30年以上前(1986年)に出版されているのです。

では今の教育は30年以上前から何か変わっているのでしょうか?

ランドセルの色くらいは変わったのかもしれませんが、学校教育の内容というのは実はあんまり変わってはいないというのが現状なのではないでしょうか。

知識を詰め込むだけの教育は意味がない

ただただ知識を詰め込むだけの教育というのは意味がないと思うのです。

そんな教育をするよりも、子供の興味・関心を大切に育てていくようなやり方のほうがこれからの時代には適応しやすくなると思うのです。

学校側がそういう教育をしてくれているのだとしたなら問題はないと思うのですが、未だに暗記中心のあまり意味がない教育の仕方をしているのだとしたなら、学校に行けば行くほど、創造性がない人間になってしまいます。

そして学校に行かないで、自分の興味・関心を追求していった人の方が創造性が豊かになっていくのだとしたなら、真面目に学校に行っている人の方が将来、路頭に迷う状況になりやすいのではないでしょうか。

そして、そういう状況になったとしても学校側は責任を取ってはくれないのです。

真面目に学校に行っていた人の方が路頭に迷う状況。正直者がバカを見る世界。

そういう世界にしないためには、暗記中心の学校教育を変えていかなければならないのです。

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