学校の正しい教育とは【絶対的幸福と相対的幸福】

学校の正しい教育とは

学校での正しい教育とは何でしょうか?

少なくとも、テストの日だけ覚えていて、終われば忘れていくような暗記中心の勉強を教えることではないはずです。

では何を教えていけばいいのでしょうか?

それは、本人が幸福になるための必要な知識を教えていけばいいのです。

もちろんこれは、人によって何が幸福と感じるかは異なるので、必要な知識も人によって違ってはきます。

それでも多くの人にとって共通する真理みたいな知識は存在するはずなので、それを学校が教えていけばいいのです。

絶対的幸福と相対的幸福

たとえば「幸福には二種類ある」というようなことを教えていく必要があると思います。

これは大人でもわかっていない人が多いと思います。

多くの人は、他人よりもたくさんのお金を求めたり、他人よりも高い地位や名誉などを求めたりしているわけなのですが、これは相対的幸福なのです。

他人よりも美人でいたい、カッコよく見られたい、優れていたい、など、これらも全て相対的な幸福

もちろん、これらの欲求を持つこと自体は悪いことではないのですが、相対的幸福しか知らないと、人は不幸になりやすいのです。

もし相対的価値観の中で幸福になれる人がいるとすれば、その人は単純に強者でしょう。

  • 単純に美人
  • 単純にカッコイイ
  • 単純に優れている
  • 単純に地位が高い
  • 単純にお金を持っている

などなど・・・

もちろん、これらを得るために本人はいくらか努力をしたのでしょうが、この相対的価値観の性質は単純なわけです。

単純にその分野において強いか弱いかで決まってしまいます。

そこには複雑性があまりないのです。


相対的幸福」と対をなすものとして「絶対的幸福」というのがあります。

この絶対的幸福というのは複雑です。

複雑で難しいので、だから多くの人は相対的幸福という簡単な方に流れてしまうのです。

しかし、相対的幸福を追求するだけだと、勝者という一部の人間しか幸福にはなれません。

しかも一見、幸福そうに見えるその勝者ですら悩みが尽きない人生を送っていたりするので、そうなると、この相対的幸福を求めている限り、誰も幸福にはなれない、ということになってしまいます。

もちろん、ある程度の経済的な余裕がある人の方が、心理的な余裕が生まれるので、その分、余裕がない人よりも幸福ではあると思います。

ただ、それすら相対的幸福の領域なので、それだけだと本当の意味で幸福にはなれないのです。


幸福な人生を歩むためには絶対的幸福という観点は不可欠です。

絶対的幸福というのは自分、オリジナルな幸福のこと。

これは自分で見つけていかなければ誰も教えてはくれません。

他人と点数を競ったり、興味のない勉強を延々とやらされる中では見つかりにくいのです。

だから本当なら学校での勉強も、やらされる勉強ではなく、子供が自分からやりたいと思う勉強を優先させていくべきでしょう。

少なくとも、やらされる勉強の中に、子供がやりたいと思う勉強を見つけるための勉強を含めるべきなのです。

子供の興味・関心をないがしろにし続けるような教育をするべきではありません。

やりたくない勉強をすれば、やりたくない仕事をするようになり、ただ生きるために、生活のために仕事をするようになってしまいます。

そんな教育はおかしいのです。

学校での正しい教育とは、絶対的幸福を感じれるような人間をつくること

学校での正しい教育とは、子供の興味・関心を大切に育てることによって、絶対的幸福を感じれるような人間をつくることなのです。

興味・関心がない勉強ばかりやって、テストの日だけ覚えていればいいというような暗記中心の無駄な勉強は変えていかなければなりません。

これからの時代、それでは意味がないのです。

もちろん、能力が高い人なら、興味がない勉強をしつつ、興味がある勉強を追求していけたりするのでしょう。

でも大半の人たちにはそのやり方は無理だと思います。

興味がない勉強にリソースの大半を食われて、興味がある勉強をする余裕がなくなるからです。

そうなると、やりたくないことをし続けるサラリーマン的な生き方をするしか道がなくなってきます。

しかも、AIが発達していけばいくほど、そのやりたくない仕事すらなくなっていくのでしょう。

そういう意味でも学校は、子供を将来、路頭に迷わせるような教育をやめていかなければいけないのです。

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