人間は惰性で生きてしまう生き物【習慣の生き物】

電車は急には止まれません。

それと同じように、人間の生き方は急には変えられないのです。

人間は惰性で生きてしまう生き物

私もそうですが、大半の人たちは昨日と今日とを比べてみても、そんなに変わりのない日常を過ごしているはずです。

細かな違いはあっても、80パーセントくらいはだいたい同じことの繰り返しではないでしょうか?

勉強の内容とか、仕事の内容とかで若干の違いはあっても、生活パターンはほぼ決まっていますよね。

朝起きて、顔を洗って、歯磨きをして、ご飯を食べて、

学校に行ったり、
会社に行ったり、
あるいは引きこもっていたり。

いずれにしても、一人の人間の生活パターンというのはだいたい決まっているのです。

ずっと引きこもっている人がいきなり、学校に行ったり、外に出たりするのは昨日と違う行動なのでハードルが高いのです。

それと同じように、ずっと学校に行き続けているような人が、急に「今日は気分が乗らないから休む」みたいな軽い理由で学校を休めるようにはなりません。

これはつまり、人間というのは惰性で生きてしまう生き物、習慣の生き物だということなのです。

習慣によって人間が作られる

習慣によって人間が作られるのだから「どういう習慣をつけるか」ということには細心の注意が必要なってきます。

たとえば、「学校に行く」という習慣を身につけることによって、その子供が幸福に生きれるようになるのなら「学校に行く」習慣をつけるのは全く問題はないのです。

ところが、この「学校に行く」ことによって、その子供が不幸になってしまうのなら、「学校に行く」習慣を身につける必要は全くないのです。

ここら辺のことがわからない親たちが思考停止して、子供を学校に行かせたがるのでしょう。

ある意味、そっちの方が親にとっても都合がいいのです。

子供の習慣を学校に任せることによって、親は楽ができるのですから(親にそこまでの余裕がないとも言える)

しかし、学校に行かせ続けることによって創造性がない人間になってしまっても、学校側は全く責任をとってはくれません。

あるいは、子供が自殺しても学校側は全く責任をとってはくれないのです。

せいぜい「いじめはあったのか、なかったのか」というような論点がずれている議論を延々としているだけでしょう。

それよりも「そもそも学校で勉強する必要はあるのか」という、学校側にもっともダメージを与えるような議論には決して発展していかないようにミスリードしているようにさえ見えます。

結局のところ、学校側も経済原理で動いているので、子供が学校に来ないと困るのでしょう。
子供が来ない(利益が減る)ことを避けたいだけなのでしょう。

はたしてそんな場所に、子供を行かせ続ける必要はあるのでしょうか。

多くの親は、それが普通だから、常識だからという理由だけで思考停止して子供を学校に行かせ続けているのではないでしょうか。

そうすれば、子供にどういう習慣を身につけさせるかということを、学校側にまかせることができるのですから。

子供にどういう習慣を身につけさせるのか

子供にどういう習慣を身につけさせるかで、どういう人間になるかがだいたい決まってしまうのです。

なんとなく学校に行き続けたような人の未来は、サラリーマン的(言われたことだけしかやらない)な人生を送ってしまいやすくなります。

そうなってしまうのは、無目的に学校に行き続けるという習慣のせいなのです。

学校が子供の創造性を伸ばしてくれる場所なら別に思考停止して子供を学校に通わせても問題はないのですが、現実の学校はそういう場所ではないのでしょう。

であるなら、子供の創造性を潰さないためには、学校以外の場所で子供の創造性を伸ばす習慣を身につけさせる必要があるのです。

子供は自分でそういう習慣を身につけることはまだできません。

だからそういう習慣を子供に身につけさせるためには、大人が誘導していかなければならないのです。

一番、簡単なのは他人にまかせること、つまり、学校に行かせることなのですが、学校が上手く機能していないのですから、親自身が自分で考えていかなければいけないのです。

たとえば、親が本を読んでいる姿を見せて、子供も自分から本を読むようになるとかが、子供の創造性を伸ばすためにできることの中では最高のことだと思います。

そうすれば、子供はたとえ親がいなくなったとしても、本を読んだり、自分で物事を考えたりして、問題を自ら解決していけるような創造性が高い人間になっていくはずです。

新たな習慣を身につけるために「常識」を疑う

結局のところ、学校に行こうが行くまいが「子供にどういう習慣を身につけさせるか」が全てなのです。

本当なら親はそこにこそ心を砕くべきなのです。

とはいえ親自身も、無目的に学校に行き続けてしまったがゆえに、子供にもそういう生き方を進めてしまうのでしょう。

それでもこれからの時代、創造性こそが必要とされる時代においては、創造性を殺してしまう学校に行き続けることの方がリスクだと考えてしまうのは私だけではないと思います。

学校が子供の創造性を伸ばしてくれる場所に変わってくれるのなら問題はないと思うのですが、それにはまだまだ時間がかかるのでしょう(あるいは変わらないか)

であるなら、子供を無理に学校に行かせ続けることは、別に偉くもなんともないことだと思います。

終身雇用が崩壊していけばいくほど、学歴の価値は下がり続けるはずです。

そうなった時に、学歴があっても創造性がない人間と、学歴はなくとも創造性がある人間とでは、どちらの方が生き残っていきやすいかは火を見るよりも明らかなはずです。

本当に子供のことを考えるのであれば、これからは「学校に行くのは当然」というような「常識」を疑っていく必要があるのではないでしょうか。

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