親の空気(本心)が子供に与える影響【毒親の場合】
子供は親の空気(本心)を敏感に感じとって、その影響を受け続けて成長していきます。
子供にとっては、その空気は当たり前になりすぎているので、実は意外にそのことに気づいていなかったりするのです。
下手をしたら一生、気づかないまま死んでいく人もいるのかもしれません。
それが良い影響なら子供は気づかないまま幸福な一生を送れるのでしょう。
でもそういう人は数は少ないと思います。
どちらかといえば、悪い影響を受けて、そのことに気づかないまま苦しい人生を歩んでいる人の方が数は多いのだと思います。
なので、苦しい人生を歩んでいる人は「なぜ、自分は今のようになってしまったのか」と自分の人生を振り返ってみる必要があるのです。
私の場合
自分の場合を振り返ってみると、私は母親から安心感というのを感じたことがありませんでした。
今でこそ、こうやって言語化して認識することができてはいますが、当時は自分が母親に恐怖を感じている状態が当たり前になりすぎていて、それが異常だとは気づいていなかったのです。
日常のストレスを子供にぶつけて、それを「しつけ」だと正当化できてしまうのが私の母親の正体だということを知らなかったのです。
だから子供の頃の私は母が怒ってきたら、「理由は分からないけど、自分が何か悪いことをしたんだ」と思うようになっていきました。
実際の母は単に、ストレスを子供にぶつけてスッキリしていただけだったのですが、子供の頃の私は、まさか親がそんな未熟な生き物だとは知らなかったのです。
いわゆる毒親ですね。
でも子供の頃はそんな親がいるなんて知らなかったし、まして、親が自分を愛していないという現実と向き合う勇気もなかったので、「親は自分のために怒ってくれているのだ」という方向へ現実を歪めて解釈していました。
だからそんな母親から理不尽に怒られても、それが理不尽だと思うことができずに、「何か自分が悪いことをしたんだ」という「無罪の罪悪感」を感じて育っていったのです。
そういう風にして育つとどうなるかというと、子供(私)は他人の気分を害することを極端に恐れるようになってしまうのです。
コミュニケーションは全て他人の気分を害さないための演技であり、他人とのやり取りを楽しむという発想が湧いてこなくなるのです。
よく考えたら当たり前ですね。
一番最初のコミュニケーションの相手、母親との関係でまともなやりとりをしてこなかった子供が他人とまともな関係を築けるようにはならないのです。
私と母の関係はそんな感じだったので、私には母親に「学校に行きたくない」というセリフは死んでも言えなかったです。
もしそんなセリフを言って母の気分を害してしまったら、多分、今生きていないと思います。
普通に殺されていたと思います。
少なくとも、子供の頃の私は母親にそれくらいの恐怖を感じていたのです。
そしてその状態が異常だとは気づいていなかったのです。
母親に対して安心ではなく、恐怖を感じている状態が当たり前だったので、当然、他人との関係においても、恐怖が基本になってしまいます。
恐怖が基本の関係というのは「いかに相手に嫌われないか」という視点しか持てなくなる状態。
相手に嫌われる、相手の気分を害することは死を意味する状態が普通の環境で育ってきたので、他人との関係でもその親との関係を投影してしまうのです。
こういう心理で他人と関係を作ろうとしても、主従関係にしかならないのです。
王様と奴隷の関係ですね。
それまでずっと王様(親)の気分を損ねないように奴隷(子供)として仕えていたのですから、そのまま行くと他人との関係でも自ら進んで奴隷的な立場に甘んじてしまうのです。
毒親とか周りから受ける影響から逃れるためには
とまあこんな感じで、親の空気(本心)が子供に与える影響というのを見てきたのですが、こういうことをはっきり認識して言語化できるようになるまでは大変でした。
「なんでこんなに生きづらいのだろう」、「なんでこんなに人に嫌われたくないと思ってしまうのだろう」、「なんでこんなに自分は無能なのだろう」
などと自己否定ばかりして同じところを延々とグルグル回っているだけみたいな期間がだいぶ長かったように思います。
そこから脱することができたのはやはり「自分の価値観」というのを作れたからだと思います。
これは、はっきり言って、学校に行き続けても得られるものではないです。
もちろん、就職して会社に行き続けても得られるものではありません。
今の日本の社会の在り方に従うだけでは「自分の価値観」というのは作りにくいものなのです。
これはそもそも教えるのが難しいというのもありますが、自分から見つけようとする姿勢が必要です。
昨日書いた記事にもあるように、「自立」しようとしなければ、見つけにくいもの。
親や他人、社会や常識といったものから認められようとするよりも、「自分の価値観」を優先できるようにならなければいけないのです。
この話は長くなりそうなのでここで切りますが、とりあえず、親(とくに毒親)とか学校の言う通りに生きていても、「自分の価値観」というのは作れない、ということだけは覚えておいてください。