「好きなことをして生きる」ことができるようになるためには、努力は不可欠です。
もしかしたら、「好きなことをして生きる」という言葉だけ聞くと、努力が不要だと思ってしまう人がいるかもしれないと感じたので、こういうタイトルをつけてみました。
好きなことをして生きるためには努力は不可欠
よく考えてみたら当たり前の話なのですが、「好きなことで生きている人」で努力していない人はいないわけです。
もし好きなことで生きている人で「自分は努力していない」と言っている人がいるとすれば、その人は「努力を努力と思わないレベルまで努力している」わけです(笑)
たとえば、50メートル走を6秒台で走れるような人は、(そこまで)努力しなくても7秒台で走れると思います。
しかし、8秒台でしか走れない人は、努力しなければ7秒台で走れるようにはならないのです。
「好きなことをして生きる」というのは言葉だけを聞くと甘いイメージを持ちがちになりますが、実際には努力が不可欠なのです。
嫌いことを努力するのはほどほどに
とはいえ、日々の生活で何らかの努力をしていない人はいないと思います。
学生であれば、学校に行って興味のない勉強をして努力しているでしょうし、大人であれば、会社に行って、やりたくもない仕事をすることに努力していると思います。
しかし、こういった努力をいくらたくさんしたところで「好きなことをして生きる」状態にはなれないのです。
なぜなら、こういう努力は自分が興味・関心がない分野だから。
「誰かに評価されるための努力」だからです。
こういう理由で努力している限り、「好きなことをして生きる」状態にはなれないのです。
誰かに評価されるための努力ではなく、自分が好きなものを努力していく
厳しい話ですが、「好きなことをして生きる」というのは言葉から伝わってくるイメージほど甘いものではありません。
そもそも最初に学校に行って、誤った教育を受けてしまっているので、好きなことが分からない状態が普通になってしまっているのです。
だから必要になってくるのが「勉強のやり直し」だと思います。
「誰かに評価される勉強」ではなく、「自分が興味・関心を持った、自分が評価する勉強」をしていく。
つまり、誰かに評価されるための努力ではなく、自分が好きなものを努力していく必要があるのです。
比喩的に言うなら、そうした自分の好きなことを50メートル走で6秒台で走れるレベルまで努力していく必要があるのです。
それができるようになった時に、はじめて、「好きなことで生きていける」ようになるのだと思います。