「好きなことをして生きる」のはわがままではない【自由の扱い方】

「好きなことをして生きる」のはわがままではない

「好きなことをして生きる」とは言葉だけを見ると、わがままで子供っぽいイメージを持ってしまうかもしれません。

でも、実際にはこの生き方は「自由の扱い方」が上手くないとできない生き方なのです。

大人になると自由が減る

私たちは大人になればなるほど、「〜しなければいけないこと」が多くなっていきます。

そうなると自然と「大人はこうあるべき」という空気に流されていってしまうのです。

そんなに自由ではなくなってくる、ということです。

そうなると「自由の扱い方」が上手くならないうちに、無理やり、大人な生き方をしなければいけなくなってきます。

ここは少し話がややこしいかもしれません。

自分の自由を抑えると他人の自由も抑えるようになる

自由の扱い方が上手くならないうちに大人な生き方をしてしまうと、「〜べき」という生き方をしてしまいやすいのです。

もう大人なんだから・・・

というような感じで自分の可能性をあきらめてしまう人が多いのでしょう。

こういう大人は言わば、無理やり表面的に大人になっているだけで、実際には大人になりきれていないはずです。

まだ自由の扱い方が上手くならないまま、大人にならざるを得なかった人たち。

こういう大人たちは好きなことをして生きていないので、子供が「好きなことをして生きる」というようなことを言っていると、「世の中はそんなに甘くない」みたいなことを言ってくるのです。

その通りです。

確かにその通りなのですが、
そういうことを言ってくる大人は、イソップ寓話の「すっぱい葡萄」のような感じで言ってきている面があることを考慮に入れなければいけません。

自由を上手く扱えないと常識に縛られる

自由の扱い方が未熟なまま年齢を重ねていくと、「常識」に縛られて生きてしまいやすいのです。

自由を上手く扱えないからこそ、判断を「常識」に頼ってしまう。

そして「好きなことをして生きていない大人」になってしまう。

こうなってしまう一番大きな原因は、私が思うに、やはり無目的に学校に行き続けてしまったからなのでしょう。

そうした惰性の習慣のせいで子供の創造性が奪われてしまい、大人になっても「〜しなければいけない」という考え方でしか仕事ができなくなってしまうのです。

そういう大人にならないためには、子供の頃から創造性を殺すような環境(学校)に身を置かないのがベストだと思うのですが、日本の社会の中でそうした常識から外れるのは勇気と覚悟が必要なので、やはり多くの人はそれでも学校に行き続けてしまうのでしょう。

もう一度、学生時代をやり直せたなら

私も無目的に惰性で学校に行き続けてしまって、創造性がない人間になってしまったが故に、今、学校に行き続けてしまったことをものすごく後悔しているのです。

もし、今もう一度、学生時代をやり直せるとしたなら、「学校に行かない」という勇気ある選択はできるかどうかはわかりませんが、確実に学校の勉強はテキトーにすると思います。

親に怒られない程度に、赤点を取らない程度に手を抜いてする、ということですね(笑)

そして余ったリソースで、自分が興味を持てる勉強を探すことにエネルギーを割くようにするでしょう。

学校の勉強ばかりしていても、それを見つけることはできませんからね。

好きなことをして生きるために、自由の扱い方を学ぶ

なんだか色々言い過ぎて取り留めのない感じになってきましたが、要は、「好きなことをして生きる」ためには「自由の扱い方」を学ばなければいけないのです。

その「自由の扱い方」を学ばなければいけないはずの子供が、学校に行き続けることによって「〜べき」という不自由な生き方しかできなくなってしまうのは本末転倒なのです。

子供の創造性を伸ばすためには「自由」というのを上手く育てていく必要があります。

この「自由」を上手く育てることができなければ将来、AIに代替される人間にしかなれないのだと思います。

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