自由と孤独についての話
自由と孤独には密接な関係があります。
- 自由を求めれば、孤独になりやすい
- 自由を求めなければ、不自由になりやすい
おそらく多くの日本人は孤独になりたくないが故に、後者になりやすいのだと思います。
今回は「自由と孤独」についての話です。
自由を求めれば、孤独になりやすい
人には違いがあります。
先天的な違いもあれば、後天的に成長していくにつれ違ってくるものもあります。
人間は社会的な生き物なので、その中で自分一人の自由を発揮しようとすると当然、あつれきが発生してしまいます。
それでも、その自分の自由を押し通したいと思う人は、孤独になりやすいのです。
自由を求めなければ、不自由になりやすい
多くの日本人は、そうまでして自分の自由を押し通したい、とは思わないタイプの人たちが多いと思うので、孤独にならない代わりに不自由になりやすいのです。
自分の自由を押し通して、多くの人から「自分勝手なヤツだ」と思われることを恐れているのでしょう。
だから周りに合わせて、自由を捨てて、不自由になってしまうのです。
これは良く言えば「調和」なのですが、悪く言うと「付和雷同」だと思います。
そもそも日本人はそこまで自由を求めていない?
私が思うに、おそらく多くの日本人はそこまで「自由」というのを求めていないのかな、という気がします。
それより「一人になりたくない」「孤独になりたくない」というような思いの方が強いのだと思います。
だから自由を選んで孤独になるくらいだったなら、自由を選ばずに、孤独にならない方を選んでしまうのでしょう。
私もどちらかと言えば、そういうタイプの人間です。
自己主張して嫌われるくらいだったなら、周りに合わせて、孤独にならない方を選んでしまうような人間でした。
ただ、不幸なことに「大根役者」だった私は、その周りに合わせることすら上手くすることができずに、自分では望まない、孤独の道を歩むことになるのでした。
孤独は辛い
孤独の道は辛いです。
自殺の理由として、経済面や健康面がよく挙げられますが、根本的な原因はどちらかといえば、孤独だからだと思います。
多くの人はこの孤独に耐えられないからこそ、たとえ偽りの絆であったとして、孤独よりはマシと感じてその関係性を維持しようとしているのでしょう。
私も自分が大根役者じゃなかったら、多くの人と同じように、表面だけを上手く合わせて、たとえ不自由でも孤独になることを避けていたと思います。
それはできませんでしたけど・・・
だけど孤独にはメリットもある
とはいえ、孤独は悪いことばかりとも言えません。
孤独になると、自分の価値観というのを自分で作らざるをえなくなるのです。
そうしないと生きていけないですからね。
多くの人はこの自分の価値観というのを作れないから「常識」というものに従ってしまうのでしょう。
私にはそういう人たちが、役割に縛られた偽りの絆でつながっているように見えます。
「常識」に従っていると、この偽りの絆を切ることが難しくなってしまうのです。
孤独になると、本物の絆にもつながれない代わりに、偽りの絆にもつながらなくなるので、一概に悪いことばかりとも言えないのです。
偽りの絆では孤独は避けれても不幸になる
自分の価値観を自分で作れないと「常識」というものに頼ってしまい、偽りの絆を結んでしまいます。
一度結んだその絆は切るのが大変です。
たぶん、大半の人たちには切れないんじゃないですかね。
たとえ、それが偽りの絆であったとしても、孤独を紛らわす役には立ってくれているのですから・・・
もし私が「大根役者」じゃなくて、普通に社会に適応できてしまえるような常識人だったなら、自分でもその偽りの絆を切れていたかどうかはわかりません。
孤独になるということはそれほど辛いものだからです。
自由と孤独
自由を望めば孤独になりやすく、
孤独を避ければ不自由になりやすい。
私は孤独を避けたいタイプの人間だったけど、それができずに、自分では望んでいない自由と孤独を与えられました。
それで死にそうになりながらも、なんとか自分の価値観というのを作っていったのです。
もし私が普通に社会や常識に適応できてしまっていたなら、ここまで苦しむことはなかったと思うのですが、同時に自分の価値観というのも作れていなかったと思います。
そういう意味では「孤独は自分の価値観を形成するために必要なもの」だとも言えるのです。