人に嫌われたくないのは自分で自分を嫌っているから

過去の私は人に嫌われたくないと思っていました。

極端な話に聞こえるかもしれませんが、人に嫌われることが死ぬことよりもつらいことと感じていたのです。

今の私にはその原因と解決法がわかります。

とは言っても、これは教えられてすぐ解決するようなインスタントな問題ではないので、やはり最後は自分が地道にコツコツと進んでいくしかないのだと思います。

人に嫌われたくないのは自分で自分を嫌っているから

人に嫌われたくないと思ってしまうのは、自分で自分を嫌っているからです。

自分のことが嫌いだから(少なくとも好きではないから)こそ、自分ではない誰かに自分を好きになってもらおうとするのです。

誰かから価値があると思われたら、自分でも自分を価値があると思うことができるから。

そうなれば自分のことは嫌いではなくなり、自分を好きになれるから。

つまり「人に嫌われたくない」と思ってしまう人は「愛を求めている」のです。

人に嫌われたいと思う人はいない

とは言っても、積極的に「人に嫌われたい」と思う人はいないはずです。

多かれ少なかれ、誰もが「人に嫌われたくない」と思ってしまうはず。

要は程度の問題なのです。

「どちらかと言えば人に嫌われたくない」という程度の人もいれば、「人に嫌われるくらいなら死んだ方がマシ」と感じてしまう人もいるのです。

人の好意に依存してしまう人ほど、「人に嫌われたくない」という思いが強くなってしまうのでしょう。

人の好意に依存してしまう人は甘えているのか?

では人の好意に依存してしまう人というのは単に甘えているだけなのでしょうか?

私はそうは思えません。

なぜなら、人の好意にそれだけ依存してしまうのは、それだけ「愛されなかった人」だと思うからです。

「愛された人」は人の好意にそれほど依存しません。

しかし、「愛されなかった人」は人の好意を他のどんなものよりも強く望んでしまうものなのです。

これは愛されて育った人にはサッパリわからない感覚だと思います。

「愛されて育った人」と「愛されないで育った人」とでは全く別の生き物だと思うくらい違いがあるのです。

愛されなかった人ほど愛を必要とする

愛されないで育った人ほど、愛を必要としてしまうのです。

これは甘えではありません。

たとえば、今にも餓死しそうな人が食べ物を探しているのを「卑しい」とは言わないですよね。

卑しい人というのは十分に食べ物を得ている状態でなおかつ、他人から奪おうとしているような人のことを言うのです。こういう人は甘えていると言えるでしょう。

でも餓死しそうな人が食べ物を探しているような状態を甘えているとは言わないのです。

愛の問題は簡単には解決しない

愛の問題は食べ物を食べれば解決するような単純な問題ではありません。

もっと複雑で面倒くさい問題です。

逆に言えば、この問題を全ての人が解決できるのなら、この世界から諍いや争いは全てなくなると言ってもいいのかもしれません。

だからこの問題の解決はそんなに簡単な話ではないのです。

解決策は「自分を愛する」

厳しい話になってくるのですが、この問題の解決策は「自分を愛する」しかないのだと思います。

これは一朝一夕でできるようなことではありません。

まず私たちは、必要な知識を学んでいないのです。

学校でどうでもいいことばかり暗記させられて、本当に必要なことを教えられていない・・・

だからまずは必要な知識を自分から勉強していく必要があるのです。

自分自身を愛することは、
助けを必要としている
不安定で脆弱な人間を
愛することでもある。

エーリッヒフロム

隣人を
一人の人間として愛することが
美徳だとしたら、

自分自身を愛することも
美徳であろう。

すくなくとも悪ではないだろう。

なぜなら自分だって
一人の人間なのだから。

エーリッヒフロム

このブログでは、私が今まで学んできたことで大切だと思う文章を紹介していきます。

そうした文章を見て、興味を持てるものがあれば、その著者の本を自分で勉強していくことをオススメしたいと思います。

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