- 優しさ=良いもの
- 弱さ=悪いもの
というイメージを多くの人が持ってしまっていると思います。
でもこれは本当に正しい考え方なのでしょうか?
そもそも、この二つはそんなにハッキリと分けて考えれるものなのでしょうか?
今日は、優しさと弱さの違いについて考えてみようと思います。
優しさと弱さ
まず「優しさ」は悪いもの、と考える人はおそらくいないと思います。
純粋な「優しさ」というのはそれだけで価値があるものなのです。
ただ、この「優しさ」の中に、相手に嫌われたくないとか、相手からなにか見返りを求めるようなものが混じっているのであれば、この「優しさ」の価値は下がってしまいます。
「優しさ」の価値が下がってしまうのは「弱さ」があるから。
「弱さ」がある「優しさ」の価値はそれほど高くはないものなのです。
優しさと弱さは切り離せないもの
「弱い」だけの「優しさ」に価値はない。
厳しく言うと確かにその通りなのです。
ですが、では「弱さ」を知らない「優しさ」というのは果たして存在するのでしょうか。
「優しい」というのは「弱さ」に対して寛容になる、ということだと思います。
つまり、「優しさ」と「弱さ」は決して切り離して考えれるようなものではないものだと思うのです。
「弱さ」を知らない「優しさ」というのは単に優しいフリをしているだけであって、それこそ本当の「優しさ」とは無縁なものでしょう。
本当の「優しさ」なら「弱さ」というのも必ず知っているはずです。
それを知らずに本当の「優しさ」を発揮することなんてできないのです。
強者は優しくないのが普通
たとえば、弱者の気持ちがまったくわからない強者が、弱者に対して優しくなれるでしょうか?
なれないですよね。
弱者の気持ちがまったくわからない強者は、「弱者に共感する」というよりは「上から目線で施す」みたいな形での優しさしか発揮できないでしょう。
これは「優しさ」というより、「傲慢」に近いものだと思います。
強者はよくこの「傲慢」を「優しさ」だと勘違いしていたりするのです。
「自分は人よりもたくさん努力してきた、弱い人間は努力が足りないんだ」と思っているのかもしれません。
こういう心理状態の人は強くはあっても優しくはないのです。
強者よりも弱者の方が優しさには近い位置にいる
強者はよく、自分の強さによって「弱者に施しを与える」ことが優しさだと勘違いしていたりするのです。
これは「優しさ」ではありません。
だから強者が本当の意味での優しさを持つというのは、かなり難しい話になってくるのです。
その点、弱者が優しさを持つというのは、強者に比べると割と簡単な位置にいたりすると思います。
弱いからこそ、優しさの価値が誰よりも分かるのです。
強い人は鈍感だからこそ、優しさの必要性がわからないのでしょう。
そう考えると一概に、「弱さ=悪いもの」とは言えなくなってくると思います。
もちろん、自分の弱さを優しさだと正当化してはいけませんが、弱いからこそ強い人にはわからないことがわかるのです。
本当の優しさとは弱さと強さを兼ね備えたもの
「本当の優しさ」というのは弱いだけ、あるいは強いだけの人には決して持つことができないものなのです。
弱いだけだと、人生を自分の力で切り開いていけない感じになってしまいます。
一方で強いだけだと、これはこれで殺伐とした感じになってしまう。
どちらか片方だけでは足りないわけです。
両方が必要になってくる。
そしてこの両方を兼ね備えることができた人こそが「本当の優しさ」を持つことができる人なのだと思うのです。