私はながらく、いじめをする側の心理というのがよくわからなかったのですが、ようやく最近、この種の人間の心理というのがわかりかけてきました。
やはり、自分とはタイプの違う人間を理解するのは時間がかかりますね。
今回は私が気づいた「いじめをする加害者側の心理」を書いていこうと思います。
人間には違いがある
まず、人間にはいろんな違いがあるわけです。
たとえば、一つ前に書いた記事のような分け方をするなら、自我が強い人と弱い人。
いじめをする側というのは、ほぼ100パーセント自我が強い人間の方なのです。
いじめられる方はどちらかといえば、いじめる側よりも自我が弱いのです。
自我が強い、というのは別の言い方をするなら、それだけ鈍感だということができると思います。
鈍感だからこそ、相手の痛みに共感することができない。
だから罪悪感なく、相手にひどいことができるのです。
いじめをする加害者の心理
普通の人の場合、相手を「不快」にさせてまで自分の「快」を優先することはできないと思います。
それはある程度、共感能力があるからです。
ところが、いじめをする側の人間は相手を「不快」にさせてまで自分の「快」を優先できてしまえる・・・
それは共感能力が低いからなのです。
相手がどう思っているかなど全く気にしないで「自分が相手に影響を与えれること」を楽しんでいる。
要は支配欲が強いのです。
「相手がどう思っているか」には全く関心がなく、「自分がどう思うか」にしか興味がない。
これは人間として「自立」するためには必要な考え方なのですが、人間社会の中で生きるのであれば、「他人はどう思っているか」を全く気にしないというのは行き過ぎです。
ただ実は、こうした低い共感能力が評価されている時代もあったのです。
それが戦争のとき。
戦争で人を殺すとか、共感能力がある程度欠如していないとできないことだと思います。
戦争のように人を殺さなければならない状況では、共感能力が低い方が有利なのです。
そういう人の方がたくさんの人を殺して成果(笑)を出すでしょう。
もしかしたら英雄になれるかもしれません。
でも平和な時代においてはそういう人はただの人殺しです。
もちろんそういう人でもバカではないので、平和な時代において、本当に直接的に人を殺すようなことはしないと思います。
その代わり、この種の人たちは間接的に決してバレないように人を殺しているのでしょう。
それがいじめをする加害者側の心理なのだと思います。
見習うべきところもある
ただ実は、こうした人の中にも見習うべきところがあるのです。
それが「自分がどう思うか」を100パーセント優先できているところ。
これは割と日本人が苦手としているところだと思います。
日本人はどちらかといえば、「相手がどう思うか」を優先させてしまう人が多いと思うので、こうした「自分がどう思うか」しか考えていないような人の考え方というのは割と参考になるのではないかと思います。
要はバランスが悪いわけです。どちらも。
片方は「自分がどう思うか」にしか興味がなく、結果的に相手を傷つけてしまう。
もう片方は「相手がどう思うか」ばかりに目が行ってしまい、自分の人生を生きれなくなってしまう。
この中間あたりの生き方がベストだと思うのですが、「言うは易く行うは難し」でなかなか実践するのは難しいわけです。
実践する前には知らなければいけない
とはいえ、実践する前にはまずはいろんなことを知らなければいけないと思います。
知らないことを実践することはできないのです。
いろんなことを知って、「自分を知る」ことが大切なのです。
そして数十年程度の人生で自分は何をしたいのか。
そこを突き詰めて考えていく必要があるのだと思います。
こういうことを教えるのが学校の役割だと思うのですが、テストでいい点をとるだけの暗記中心の無駄な勉強ばかりさせられているのでしょう。
若い時の限りある貴重な時間とエネルギーの無駄づかいだと思います。
学校側は果たして、子供の将来を担っているという自覚と責任を持っているのでしょうか。
ただサラリーマンをやっている気分でいるのでしょうか。
もし教える側がサラリーマンをやっている気分でいるのなら、教えられる側もサラリーマンになってしまう可能性が高いと思います。
その生き方ではもう路頭に迷ってしまう時代なのに・・・
まとめ
なんだか話が盛大にずれていっているような気がするのでまとめます。
- 人間にはいろんなタイプがいる
- たとえば、自我が強いタイプと弱いタイプ
- いじめをするのは自我が強いタイプ
- 自我が強い人は共感能力が弱い
- だから他人に痛みを与えても自分は全く痛みを感じない
- むしろ快感を感じている
- この種の人間は他人に影響を与えれることを楽しんでいる
- 要は支配欲が強い
- 「相手がどう思っているか」には全く関心がなく、「自分がどう思うか」にしか興味がない
- こういう性質は戦争のときなど、人を殺すようなときには役立つ
- 人を殺しても、自分に痛みを全く感じないから(共感能力の欠如)
- 平和な時代においてはこういう人間はただの人殺し
- この種の人間は、現代では見えない形で人を殺している(いじめなど)
とまぁここまでが、いじめをする加害者側の心理の説明ですね。
ここからは「こういう人間にも実は見習うべきところもある」という話になっていっています。
- 日本人は全体的に「相手がどう思うか」を優先してしまいやすい自我が弱い人が多い
- 逆に、いじめをするような自我が強い人間は「自分がどう思うか」を100パーセント優先できている
- どちらも片方に偏りすぎなので、この真ん中あたり(自分がどう思うかを優先させつつ、相手がどう思うかも無視しない生き方)が個人が目指すベストな位置
いじめをする加害者側の心理の説明から、実はこういう人間にも見習うべきところもある、という話になっていって、自分と他人をどちらも尊重する真ん中の生き方がベストだという話になっています。
ここから先が話がずれていってしまいました。
なぜか「自分を知る」ことの大切さを力説する方向に・・・
とはいえ「敵を知り己を知れば百戦殆からず」という言葉があるように、敵の心理を知るだけでは足りないので「自分を知る」ことが大切です、というようなことを言いたかったわけです。
これは思考停止して学校に行き続けても、わかるようにはならないものなのです。
なんだか、また話がずれていきそうなのでここで終わります。