社会不適合者は一人で過ごすのが好き
私は一人で過ごすのが好きです。
社会不適合者だから一人が好きなのか、あるいは、一人が好きだから社会不適合者になってしまったのか。
卵が先か鶏が先かどちらが先かはわかりませんが、とりあえず一人が好きなのです。
人と会うことの何が楽しいのか理解できません。
むしろ人と会うことの苦しみの方がはるかに大きいと感じます。
それでもやっぱり多くの人は、人と接することの方が楽しいと感じているのでしょう。
私には理解できませんが。
社会はコミュニケーションを要求してくる
社会というのは人の集まりです。
ゆえに当然、社会の中で生きていれば人と接する必要が出てきます。
本当は人に会いたくないのに、望まないコミュニケーションをする必要がでてくるのです。
そのときに、できるだけ相手に不快な思いをさせないように気をつけなければいけません。
しかし私のような社会不適合者は、そもそも人の目を見るのが苦手だったりするので、悪気は全くないのに、そのことで相手に不快な思いをさせてしまったりするのです。
コミュニケーションを楽しいとは感じない
普通に育ってきた人なら、コミュニケーションを楽しいと感じるのだと思います。
少なくとも、ものすごい苦だとは思わないでしょう。
しかし私のような社会不適合者は、コミュニケーションを全く楽しいとは感じないのです。
これは私が毒親に育てられた影響も大きいと思うのですが、「相手の望むことを答えなければいけない」と思ってしまうのです。
これはつまり、親との関係を他者との関係で繰り返しているわけです。
親に認められるために常に親の望むことを気にして生きてきた子供が、大人になって、他人に対しても親にやっていたことと同じことをやってしまう。
要は、子供の頃は親に認められるために親に気を使っていたのが、大人になって今度は他人に認められるために、その他人に気を使うようになってしまうのです。
こういう在り方をしてしまう人はコミュニケーションを楽しいとは感じないのです。
一人の方が楽、というより楽しい
社会不適合者は他人といると落ち着きません。
一人の方が気楽なのです。
というより、むしろ私は一人の方が楽しいと感じます。
一人でいれば誰にも気を使わなくてすむのです。
一人だから自分が本当に好きなことができるのです。
他人の中ではどうしても相手の方を優先してしまいます。
それでは自分が楽しくないのです。
だから一人で生きていく
本当なら他人の中で自分が思うことを主張できるようになればいいのかもしれません。
けどあいにく私は他人とコミュニケーションを取りたいとは思いません。
他人といるより一人でいる方が楽しいのです。
一人でいる限り自分の望みを優先できるから。
他人といればどうしても他人の望みを優先させてしまいそうになります。
そうなるよりは、一人でいる時間を多く持ちたいと思ってしまうのです。
だから私は社会に適応して人と話をしたいとは思いません。
誰にも会わずに一人で生きていくつもりです。