「毒親」という言葉が広く使われるようになりました。
そこで今回は親の視点から「自分が毒親かどうかを知る」ということに焦点を当ててみようと思います。
自分が毒親かどうかを知る
まず結論から言わせてもらうと、「自分は毒親なのだろうか」と一度でも疑ったことがある親は、私から言わせると毒親ではないと思います。
なぜなら「本当の毒親」というのは自分が毒親だとは決して一ミリも思わないからです。
そもそも、「自分は毒親かもしれない」と自分の在り方を疑うことができる感性を持っている親であればそこまでひどい親にはならないと思います。
本当にひどい親というのは自分の「正しさ」を疑うことがないのです。
だから「虐待」していても、それを「教育」していると正当化できるような親になってしまうのです。
こういう親は「自分は毒親かもしれない」と疑うことは決してありません。
なので「自分は毒親かもしれない」と思ってわざわざ検索してこの記事を読んでいるくらいの人なら、ほぼ100パーセント毒親ではないと私は思います。
毒親の基準
どこからが毒親で、どこまでが毒親ではないかという基準は非常にあいまいだと思います。
そこで自分なりに毒親の基準というのを考えてみました。
- どんな状況でも自分が悪いとは思わない
- 自分の怒りを正当化して、教育だと称して子供に八つ当たりする
- 基本的に不幸なので、子供が嬉しそう、楽しそうにしていると嫉妬して水をさしてくる
- 日常的に子供を使ってストレス解消しているので、ストレスは常に発散している。我慢しない
- 子供は自分の言うことを聞いて当然だと思っている
- 恐怖・不安・罪悪感を与えて、子供を大人しくさせて支配しようとする
- それで子供が何も言わなくなって従順になっていっても問題ない、むしろ順調に育っていると思ってしまえる
簡単に毒親の特徴をあげていきましたが、要はこういう性質を持つ親が毒親なのだと思います。
私はこういう特徴を持つ母親に育てられました。
その結果、コミュニケーションというのは「自分が思うこと、感じることを無視してただ相手の言うことに従うこと」なんだと勘違いしていったのでした。
そして友達もできない学校に通い続け、かといって不登校を許してくれるような親でもないので、ただただ無意味な時間を過ごしてしまい、真の社会不適合者になってしまったのでした。
本当の毒親はそこまで多くはいないと思う
死にたい、消えたい、と思ってしまうような不幸な子供を作らないためにも、親は幸福であるべきなのだと思います。
親が不幸だと子供は将来に希望が持てなくなってしまうのでしょう。
普通の親であればその不幸を子供を使って解消しようとは思わないと思うのですが、毒親の場合は自分が幸福になるために、子供を不幸にさせるのです。
自分が毒親かどうかを見分けるのをさらに凝縮して一点に絞って言うとすれば、それは「子供の幸福に嫉妬するかどうか」だと思います。
毒親の場合はその嫉妬心すら正当化して、子供の幸福に水をさすことを教育だと正当化できるので、もはや人間というよりは化け物に近い生き物なのかもしれません。
なので私の結論としては、本当の毒親というのは、実際には言われているほど多くはないのではないのかな、という感じです。
親が思う幸福を子供に押し付ける程度の親であればそれは世代間の認識のギャップであって、毒親と言われる程のものではないと思います。
本当の毒親というのは子供の「幸福」に「嫉妬」するのです。
これが自分が毒親かどうかを知る一つの基準になると思います。
まあでも、この文章を読んでいる人が親ならすでにその時点で毒親ではないと思います。
本当の毒親ならこういうことを自分から知ろうとは決してしないですからね(笑)