「学校に行きたくない」はむしろチャンス

社会に適応している人たちは常識的に生きています。

だからある意味、自分で考えなくても生きていけたりするのです。

  • なぜ学校に行かなければいけないのか
  • なぜ会社に行かなければならないのか
  • なぜ結婚しなければならないのか
  • なぜ生きなければならないのか

常識に従って生きれば、こうした疑問に答えを出さなくても生きていけるのです。

でも、幸か不幸か常識に従うことができなかった人は、こうした疑問を素通りできません。

だから社会不適合者になってしまうのです。

そこで真の社会不適合者はこうした疑問に対して自分なりの答えを出さなくてはいけなくなってきます。

でなければただの社会不適合者のままです。

飛べない豚はただの豚です。

ただの豚では生きていけないので飛ばなければいけません。

そして飛ぶために必要になってくるのが「考え方」なのです。

常識から外れた方が自分の考えを持ちやすい

「自分の考えを持つ」というのは意外に難しいのです。

その証拠に最初に紹介した4つの質問のうちのどれか1つでも答えることができたでしょうか?

おそらくどれも答えることはできなかったのではないでしょうか。

常識に従って生きれば、こうした疑問に自分で答えを出さなくても生きていけるのです。

大勢が従っている方向に向かえば安全だと思ってしまうのでしょう。

確かに今までは安全だったかもしれません。

しかし、これからの時代も安全だとは限らないのです(むしろ危険になってくる)

だからこそ「自分の考えを持つ」という難しいことをやっていく必要があるのです。

そしてこの「自分の考えを持つ」ということに関しては常識にどっぷり浸っているような人よりも社会に適応できていない人の方が有利だと私は思います。

それは社会に適応できていないからこそ、常識ではない「自分の考え」を持つ必要性に迫られているからです。

常識に適応できていれば、安心してしまって「自分の考え」を持つ必要性が薄まりますからね。自我が強い人は別にして。

だから「自分の考えを持つ」ということに関しては社会に適応している人よりも、社会に適応できていない人の方が有利なのです。

私はその有利な状況になっていたから「自分の考え」を持つことができたのだと思います。

不幸中の幸いですね。

とはいえ何もしなかったわけではありません。

本を読んだりして、積極的に自分以外の人の考え方を学んでいって、ようやく自分の考え方を持つことができたのです。

学校に行っても自分の考えを持てない

そして今思うのは、この「自分の考え」を持つために学校の勉強は全く役に立っていない、ということです。

人生で一番重要な10代の頃の時間をあれほど使わされた学校という場所での勉強が、少なくとも「自分の考え」を持つという点においては全く役に立っていないと感じるのです。

ただどうでもいいことをたくさん暗記させられただけであって、自分で物事を考えるということに関しては全く役に立ってはいない・・・

第一、この暗記する能力は機械の方が得意なので、人間の小さな脳にすべて詰め込もうとする教育が間違っているのです。

こういう教育はまだ機械など、PCやスマホが出てくる前の教育の仕方であって、古すぎるわけです。

機械やAIが優秀になっていけばいくほど、ただ暗記が得意なだけの機械的人間の価値は薄れていくようになるでしょう。

そうなっても、学校側は全く責任を取ろうとはしないと思います。

まさに「学校に行く」という行為が、「タイタニックに乗る」行為に等しい状態になってきているのだと思います。

「学校に行きたくない」はむしろチャンス

そこで学校に行きたくない人というのは、むしろチャンスなのではないかと私は思います。

なぜなら学校に行かなければ、自分の考えを持つ必要性に迫られるからです。

「学校に行って当然」という「常識的な考え方」に頼れなくなるわけですから、「自分の考え」というのを持つしかなくなってくるのです。

ただ、ここで親が「学校に行け」というような空気を発してしまうと子供は「自分の考え」を持つことは難しくなってしまうと思います。

まだ子供なので無意識のうちに親の考え方を習おうとしてしまうのです。

なので「学校に行けない自分には価値がない」という考え方になってしまいます。

そうなると自分に対して否定的な考えを持ってしまうので、学校に行かないことによって自己評価、自己肯定感が著しく下がってしまうのです。

だからまずは親が「子供が学校に行かなくても否定しない」というのが一番重要になってくるところなのだと思います。

そうした安心感があってはじめて子供は自分の考え方というのを作っていくことができるようになるのです。

そういう意味では子供が「学校に行きたくない」と言ってきたら、その状況をピンチにするかチャンスにするかはある意味、親次第と言えるのかもしれません。

親がただ子供に「学校に行け」としか言わないタイプの親なのであれば、その状況はピンチにしかならないでしょうし、

逆に子供に「安心感」を与えてあげるような親ならば、そういう状況はむしろ子供の考え方を育んでいくチャンスになるのではないでしょうか。

子供が一人でも行きていけるようにするのが親の役割

通常であれば子供よりも親の方が先に死ぬのです。

であるなら、子供が一人になっても自分の考えで生きていけるようにしてあげるのが親の役割なのではないでしょうか。

子供が「学校に行きたくない」と言ってきたときに親が「学校に行け」あるいは「学校に行って欲しい」と思ってしまうのは、本当に子供のためを思ってのことなのでしょうか。

実は親の世間体の方を気にしているのが実情ではないでしょうか。

常識から外れるのは勇気がいるのです。

子供に「学校に行け」と言って親自身の心を守って子供の心を壊すのか、あるいは子供の心の声に耳を傾けるのか。

子供が「学校に行きたくない」と言ってきたときに、それをピンチにするかチャンスにするかは親の選択が重要になってくるのだと思います。

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