「嫌われる勇気」を持つには「自由」で他者に貢献すること

「嫌われる勇気」を持つには「自由」で他者に貢献すること

一つ前の記事で「嫌われる勇気」という本に触れたので、今日はその本から個人的に気になった文章を抜粋しながら感想を書いていこうと思います。

すべての悩みは、対人関係の悩み

「すべての悩みは、対人関係の悩みである」と考えます。つまりわれわれは、対人関係から解放されることを求め、対人関係からの自由を求めているのです。

嫌われる勇気

よく考えてみたらそのとおりですよね。

もしこの世界に自分しかいなければ、悩みなんて存在しないでしょう。

せいぜい今日なに食べよう、くらいの悩みしかなくなると思います。

こういうのは悩みとは言わないですね。

自分以外の存在、「他者」がいるから、そこからすべての悩みが発生しているみたいです。

自由とは、他者から嫌われること

もしこの世界に自分一人しか存在しないのであれば「わがまま」というのも存在しなくなります。

だって迷惑をかける相手がいないわけですからね。

しかし自分以外の存在、他者がいるからこそ、そこから幸福と不幸が生じてきてしまうのです。

だから人間の集団という社会の中で生きるためには、他人を不幸にさせないために、ルールが設けられているわけです。

しかし、いつのまにか「他人に迷惑をかけないため」という理論的なルールが、「他人に嫌われないため」という感情的な別の意味に変わっていってしまったのだと思います。

だから多くの日本人は自由な生き方よりも、他者に嫌われない不自由な生き方の方を選んでしまうようになったのだと思います。

他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを恐れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない。

嫌われる勇気

「嫌われる勇気」を持つには

他者に嫌われたくないと強く思ってしまう日本人は、見方を変えると、ある意味、優秀なのだと思います。

自分だけの幸福を目指す「わがまま」に違和感を感じやすいのでしょう。

そこで自分と他者が幸福になる道は何かないかと自然に探してしまう性質が多くの日本人には備わっているのだと思います。

その性質に対しての答えがこうした文章なのでしょう。

「わたしは誰かの役に立っている」と思えること。

他者から「よい」と評価されるのではなく、自らの主観によって「わたしは他者に貢献できている」と思えること。

そこではじめて、われわれは自らの価値を実感することができるのです。

嫌われる勇気

他者がわたしになにをしてくれるかではなく、わたしが他者になにをできるかを考え、実践していきたいのです。

その貢献感さえ持てれば、目の前の現実はまったく違った色彩を帯びてくるでしょう。

嫌われる勇気
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