【本】嫌われる勇気【名言】

わたしは怖い。対人関係のなかで傷つきたくない。自分という存在を拒絶されるのが、恐ろしくてならないんです!

われわれを苦しめる劣等感は「客観的な事実」ではなく、「主観的な解釈」

われわれが歩くのは、誰かと競争するためではない。いまの自分よりも前に進もうとすることにこそ、価値があるのです。

仕事を通じて他者から批判され、叱責されること、お前には能力がないのだ、この仕事には向いていないのだと無能の烙印を押されること、かけがえのない「わたし」の尊厳を傷つけられることが嫌なのです。

つまり、すべては対人関係の問題になります。

われわれは「他者の期待を満たすために生きているのではない」のです。

あなたは他者の期待を満たすために生きていいるのではないし、わたしも他者の期待を満たすために生きているのではない。

他者の期待など、満たす必要はないのです。

「自分が自分のために自分の人生を生きていないのであれば、いったい誰が自分のために生きてくれるのだろうか」

他者からの承認を求め、他者からの評価ばかりを気にしていると、最終的には他者の人生を生きることになります。

カウンセリングを受けに来られる相談者に、わがままな方はほとんどいません。むしろ他者の期待、親や教師の期待に応えようとして苦しんでいる。いい意味で自分本位に振舞うことができないわけです

青年:いや、ちょっとお待ちください! つまり先生は、「親をどれだけ悲しませようと関係ない」とおっしゃるのですか?

哲人:関係ありません。

青年:冗談じゃない! 親不孝を推奨する哲学など、どこにありますか!

哲人:自らの生について、あなたにできるのは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」、それだけです。一方で、その選択について他者がどのような評価を下すのか。これは他者の課題であって、あなたにはどうにもできない話です。

他者の課題には介入せず、自分の課題には誰ひとりとして介入させない。これは具体的で、なおかつ対人関係の悩みを一変させる可能性を秘めた、アドラー心理学ならではの画期的な視点になります。

アドラー心理学では「すべての悩みは、対人関係の悩みである」と考えます。

不幸の源泉は対人関係にある。

逆にいうとそれは、幸福の源泉もまた対人関係にある、という話でもあります。

「課題の分離」ができておらず、承認欲求にとらわれている人もまた、きわめて自己中心的なのです。

哲人:こうした承認欲求にとらわれている人は、他者を見ているようでいて、実際には自分のことしか見ていません。他者への関心を失い、「わたし」にしか関心がない。すなわち、自己中心的なのです。

青年:じゃあ、わたしのように他者からの評価に怯えている人間もまた、自己中心的だというのですか? これほど他者に気を遣い、他者に合わせようとしているのに!?

哲人:ええ。「わたし」にしか関心がない、という意味では自己中心的です。あなたは他者によく思われたいからこそ、他者の視線を気にしている。それは他者への関心ではなく、自己への執着に他なりません。

「他者からどう見られているか」ばかりを気にかける生き方こそ、「わたし」にしか関心を持たない自己中心的なライフスタイルなのです。

「わたし」に執着している人は、すべて自己中心的です。だからこそ「自己への執着」を「他者への関心」に切り替えなければならないのです。

「わたしは誰かの役に立っている」と思えること。

他者から「よい」と評価されるのではなく、自らの主観によって「わたしは他者に貢献できている」と思えること。

そこではじめて、われわれは自らの価値を実感することができるのです。

われわれは、自分の存在や行動が共同体にとって有益だと思えたときにだけ、つまりは「わたしは誰かの役に立っている」と思えたときにだけ、自らの価値を実感することができる。

他者貢献とは、「わたし」を捨てて誰かに尽くすことではなく、むしろ「わたし」の価値を実感するためにこそ、なされるものなのです。

もっともわかりやすい他者貢献は、仕事でしょう。社会に出て働くこと。あるいは家事をこなすこと。

労働とは、金銭を稼ぐ手段ではありません。

われわれは労働によって他者貢献をなし、共同体にコミットし、「わたしは誰かの役に立っている」ことを実感して、ひいては自らの存在価値を受け入れているのです。

他者がわたしになにをしてくれるかではなく、わたしが他者になにをできるかを考え、実践していきたいのです。

その貢献感さえ持てれば、目の前の現実はまったく違った色彩を帯びてくるでしょう。

人間にとって最大の不幸は、自分を好きになれないことです。

この現実に対して、アドラーはきわめてシンプルな回答を用意しました。

すなわち、「わたしは共同体にとって有益である」「わたしは誰かの役に立っている」という思いだけが、自らに価値があることを実感させてくれるのだと。

他者貢献とは、目に見える貢献でなくともかまわないのです。

「わたしは誰かの役に立っている」という主観的な感覚を、すなわち「貢献感」を持てれば、それでいいのです。

たとえあなたを嫌う人がいようと、「他者に貢献するのだ」という導きの星さえ見失わなければ、迷うことはないし、なにをしてもいい。

嫌われる人には嫌われ、自由に生きてもかまわない。

「いま、ここ」に強烈なスポットライトを当てていたら、過去も未来も見えなくなるでしょう。

われわれはもっと「いま、ここ」だけを真剣に生きるべきなのです。過去が見えるような気がしたり、未来が予測できるような気がしてしまうのは、あなたが「いま、ここ」を真剣に生きておらず、うすらぼんやりとした光のなかに生きている証です。

過去にどんなことがあったかなど、あなたの「いま、ここ」にはなんの関係もないし、未来がどうであるかなど「いま、ここ」で考える問題ではない。「いま、ここ」を真剣に生きていたら、そんな言葉など出てこない。

「いま、ここ」にスポットライトを当てるというのは、いまできることを真剣かつ丁寧にやっていくことです。

「わたし」が変われば「世界」が変わってしまう。世界とは、他の誰かが変えてくれるものではなく、ただ「わたし」によってしか変わりえない、ということです。

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