【本】愛とは、怖れを手ばなすこと【名言】
感情には二種類しかない、それは「愛」と「恐れ」である
怖れと愛を同時に経験することはできません。
どちらの感情を望むかは、つねに私たちが選ぶのです。
怖れではなく愛を選びつづけることで、人とのかかわりの性質や本質を変えることができるのです。
私たちはつねに、愛か怖れのどちらかを表現しています。
怖れの正体は救いを求める声であり、言いかえれば、愛を求める声です。
だとすれば、やすらぎを経験するために必要なのは、ものの見方や感じ方を決める権利は自分にあるのだと、自覚することだということになります。
怖れではなく愛を選びつづけることによって、私たちは自己変容を経験することができ、そうすると、自分にも他人にも自然に愛を注げるようになります。
「与えることは受け取ること」――これは愛の法則です。
この法則のもとでは、他者に愛を与えれば、自分が豊かになります。
何かを与えれば、同時に自分がそれを受け取ることになるのです。
愛されていない、ゆううつだ、空虚だ、という気持ちが内にあるとき、愛を与えてくれそうな誰かを探そうとしても、解決策にはなりません。
解決に導いてくれるのは、何の見返りも求めず、惜しみなく誰かを愛することです。
すると、その愛が同時に、私たち自身にも与えられるのです。
外の世界の誤った考え方は、まずほかの人から愛を与えてもらわなければ、自分の中に愛を感じることはできない、というものです。
愛の法則は、世間の法則とはちがいます。
あなた自身が愛そのものであり、したがって、人に愛を与えれば、自分が何者であるのかを自分に教えることになる――これが愛の法則です。
愛を差し出すことは、私自身が愛を受け取ることができる唯一の方法なのです。
怖れを感じるのか、それとも、他者に愛を差し出すことによって愛を感じるのか。
それを選ぶ権利は、つねに自分にあるのだと気づいたとき、私はもう、いかなる理由でも心を乱されることはありません。
一日のどんなときにも、怖れを感じそうになったら、私は怖れではなく愛を体験できるのだと、自分に言い聞かせましょう。
私は人生のほとんどを、まるでロボットのようにふるまい、ほかの人が言うこと、することに反応してきました。
でも今は、私が考えたように対応できることを知っています。
怖れではなく、愛をもって人やできごとを見るという決意の力によって、私は自分自身を解放します。
「自分が何を受け取るかで頭がいっぱいだと、怖れで身動きできなくなり、誰の役にも立てないけれど、ただ与えることで頭がいっぱいのときは、怖れを感じない」のだと学びました。
過去を手ばなし、今というときの中で、与える行為に全神経を集中することにより、私は怖れを忘れて、ちがう見方ができたのです。
どんな心の状態でいるかは、自分の責任です。
ロボットのようにふるまい、愛と怖れ、幸福と悲しみのどちらを体験するかの決定権を、他人にゆだねるのはやめましょう。
本書の大切なメッセージは、ものの見方を変えれば、今とは正反対の考え方ができるようになるということです。
恐れの窓ではなく、愛の窓から世界を見ることを選ぶのです。
誰かの力になることに意識を向けた瞬間、私たちは自分が病人だとか、苦しんでいるといった見方をやめ、「与えることは受け取ること」という言葉の意味を知るのです。
私は、私を傷つける思いと、私を助けてくれる思いの両方をもつことができます。
どちらの思いを心にもつかを、私はつねに選択しています。
なぜなら、ほかの誰も、私の代わりにこの選択をすることはできないからです。
私は愛に満ちた思い以外のすべてを手ばなすことを、選ぶことができます。