自分にとって意味のない勉強をし続けて自分を失った真の社会不適合者、略して真者(まもの)です。
今日は「自分にとって意味のある勉強とは」という話です。
自分にとって意味のある勉強とは何か
自分にとって意味のある勉強とは何でしょうか。
それは自分が興味のある勉強をすることです。
あなたには何か興味のある対象がありますか?
もしあるのであれば、それを勉強すればいいだけです。
もしないのであれば、それを見つければいいだけです。
言葉にすると非常に簡単なことなのです。
しかしこれが難しい。
なぜ難しいのか?
それは学校で興味のない勉強をさせられて、自分が興味ある勉強を見つけることができなくなっているからでしょう。
その結果、勉強自体を嫌いになり、「やりたくないことをやって生きるのが人生だ」というような、よくわからない人生観を持つようになってしまうのです。
人は興味のないことを勉強しても身につかない
そもそも人は興味のないことを勉強しても身につかないのです。
興味がない勉強をむりやりさせられて、学校を卒業すると同時に、勉強をする事まで卒業してしまうのが一番ダメなのです。
勉強というのは生涯し続けるものです。
正確に言うと、し続けたいと思うものなのです。
そう思えないということは、まだ自分が興味のあるものを見つけれていないということです。
それなのに、興味の持てない勉強に一日の大半を使わなければいけない状況だと、興味がある勉強を探す余裕が持てません。
もちろん、文字が読めるとか、簡単な計算ができるとか、最低限な勉強はする必要はあります。
でもそこを通り越したら、あとは自分の興味をメインに勉強をしていった方がいいのです。
でないと下手をすると一生、勉強に対して、やりたくないことという誤ったイメージを持ったまま生きていくことになると思います。
自分が興味を持てる対象を勉強する
私も「学生時代もっと勉強しておけば良かった」と思うことはありますが、それは学校の勉強をもっとしておけば良かったという意味では全くないのです。
正確には、もっと自分が興味のある勉強をしておけば良かったという意味なのです。
ここは意外に気づいていない人が多いように思います。
自分が興味を持てる対象を、もっと学生時代に勉強しておけばよかった。
「もっと学生時代に勉強しておけばよかった」という大人はたくさんいますが、案外この前半の部分(自分が興味を持てる対象)がわかっていないのかもしれません。
自分のために勉強する
自分が何に興味があるかは、自分で見つけていかないと誰も教えてはくれないのです。
これをせずに、親に褒められるためだとか、いい学校、いい会社に入るためだとかで、ただテストで良い点を取ることだけを目的にした勉強の中では興味があるものは見つけていくことは難しいのです。
最終的に親も学校も国も責任を取ってはくれません。
誰も責任を取ってはくれないのです。
誰かのために勉強しても、あまり意味はありません。
自分のために勉強をしていくべきなのです。
それが結果的に誰かの役に立つことはあっても、最初から誰かのために勉強をしない方がいいのです。
あなたは自分のために、自分が興味があるもののために勉強をしていくべきなのです。
それが結果的に自分と他者を救うことにつながる勉強になっていくのです。