私たちはなぜ、ここまで人に嫌われたくないと思ってしまうのでしょうか?
そういうことを全く気にしないでいられる人と、気にしすぎてしまう人の違いは一体なんなのでしょうか?
今回は、私が人に嫌われたくないと思うようになっていった原因を振り返りながら見ていこうと思います。
親に嫌われたくないと思っていたかどうか
自分が普通に育ったのかどうかということは、なかなかわからないものです。
それを確かめる一つの指標として「親に嫌われたくないと思っていたかどうか」というのがあると思います。
あなたは親に嫌われたくないと思っていたでしょうか?
それとも冗談を言い合えるような、安心・安定した関係を築けていたでしょうか?
子供時代、どちらの状況だったかによって、人に嫌われたくないと思うかどうかが決まってくるのだと思います。
私の場合
私の場合は親と冗談を言い合えるような関係ではありませんでした。
何か自分の意見を言ったら、怒ってくるような親だったので、関係を持つ以前の問題でした。
だから常に、親の気に入るようなことを自然とするような状態だったわけです。
そうなると他人に対しても同じように「相手の気に入ることをしなければならない」と感じてしまいます。
そして相手の望みに反することをして嫌われてしまうと、自分には価値がないと感じてしまうのです。
これは要するに親との関係を他人との関係で繰り返しているだけなのです。
よく考えてみたら当たり前ですね。
子供にとっては親との関係が最初の人間関係なのです。
だからもし、親と歪な関係しか持てなかったとしたなら、他人との関係も歪になりやすいのです。
親に嫌われたくないと思っている子供は愛されていない
そもそもの話として、親に嫌われたくないと子供が思っている時点で、その子供は愛されていません。
本当に子供が愛されていたとしたなら、子供は親に嫌われたくないとすら思わないはずです。
そして他人に対しても、そこまで嫌われたくないとは思わないはずなのです。
人に嫌われたくない原点
人に嫌われたくないと思う原点はここにあるのです。
少なくとも私はそうでした。
「親に嫌われたくない」という思いが「他者」に広がっていくのです。
これは親とまともな関係を築けて育った人にはわからない感覚だと思います。
親から安心を与えられて育った子供と、親から不安を与えられて育った子供では、見ている世界が全く違うのです。
自分で自分に安心を与えていくしかない
厳しい話ですが、親が安心を与えてくれなかったのなら、その子供は自分で自分に安心を与えていくしかないと思います。
親や他人に好かれようとしても、その不安は消えません。
むしろもっと酷くなります。
外にいる誰かに好かれて、安心を得ようとするのではなく、自分で自分に安心を与えていくのです。
私はこうしてこの問題を解決していきました。
もしかしたら、もっと他人に頼る方法があったのかもしれません。
でも最終的には自分で自分に安心を与えていくしかないのです。
それを他人に頼っていては、いつまでも自分が頼りないまま。
自分で自分に安心を与えて、自分を頼ることができるようになれば、人に嫌われたくないと思うことは激減するはずです。
そのためには、親が与えてくれなかった安心を自分で自分に与えていくしかないのです。